左からゾウリエビ、ウミクワガタ幼生、ウミクワガタ♂、ウミクワガタ♀、マダラトビエイ
私は海の生物のことを様々な形で子どもに伝える場面が多いのですが、私が専門で研究を行っている「ウミクワガタ」という生物は、名前にインパクトがあるのに非常に小さく、人に見せてもガッカリされることがよくあります。学生の頃に、研究発表でこの小さな生物をどのように伝えようか考えた末、ウミクワガタをぬいぐるみ化することを思いつきました。このぬいぐるみ化が、案外好評なんです。そこで今回は、私のぬいぐるみ作りの過程を紹介しながら、ウミクワガタや海の生きもののおもしろさを解説しようと思います。
かれこれ10年以上前の学生の頃、沖縄の琉球大学で生物学を学びながらも、暇さえあれば海や山へ行っていた私は、ある時、「実在する海の生きものをポケモンのようにデフォルメ化して、ぬいぐるみにしてみよう!」 と突然思いつきました。
みなさんは、ポケモンをご存知ですか? 2016年にはポケモンGOが社会現象になって、私の住んでいる鳥取でもイベントで砂丘がトレーナーだらけになったほどです。そんな人気のポケモンの多くは、実はいろんな生きものがモデルになっています。ただし、生きものそのままの姿ではなく、形や色を捉えて簡略化されているのです。そこに「自分の知っている海の生きものでも、できるかも!」とヒントを得ました。なぜぬいぐるみにしたのかというと、私が単にふかふかしたもの好きなのかもしれません。
ぬいぐるみのアイディアを思いついてから、近所の図書館から手芸の本を借りて、最低限の縫い方と製作手順を覚えました。糸を通し、縫い付けた袋状の生地の反転し、綿を入れる作業です。
ぬいぐるみ生地の縫い方と膨らみ方の基本
はじめは、魚やクジラといった、形が単純なものから作り、そのうち、甲殻類のような、外見が複雑なものも作れるようになりました。複雑なものほど時間と根気が要るのですが、基本的には、
1)本物を元に型紙を作る
2)布で袋状のものを作る
3)裏返して綿を入れ縫い閉じる
の3つの作業に色々なアイデアを加えることで、ぬいぐるみを作ることができます。
このうち、1)の手順が最も難しく、実物をどのようにデフォルメして、ぬいぐるみ化しやすいようにして型紙を作るのかが大事です。
写真1 出来上がったマダラトビエイのぬいぐるみ
写真2 愛着が湧いたので、学名のAetobatus narinari (エートバトゥス・ナリナリ)にちなんで、「成田さん」と呼んでいます。メスです。
簡単なのは扁平な魚で、例えばマダラトビエイは、ほとんどそのまま背面と腹面の絵を描いて、これを型紙にしてしまえばOKでした。なぜこの種をぬいぐるみ化したかというと、マダラトビエイの鰓(えら)にはウミクワガタの幼生が沢山付いるからです。ウミクワガタ類の幼生は、魚類の寄生虫として知られているのですが、沖縄のウミクワガタ類研究では、特にエイやサメの鰓に寄生していることが多いことが明らかになりました。特に海底近くに生息する種類に多くの数や種類のウミクワガタ類が寄生していることがわかったのです。
マダラトビエイは背中の白いドットのある青色が可愛いので、この特徴もしっかりぬいぐるみ化してみました。本物の目は猫目でちょっと怖いのですが、市販で売っているキャットアイ(目のパーツ)を使い、長めのフェイクファー(長さ10ミリ)で作ったら、ちょっと猫っぽくなりました。また、鰓(えら)や口は黒いフェルトを挟み込んで表現しました(写真2)。
いろんな色を使う場合、揃えるのが難しいものはぬいぐるみ用の生地です。2、3年ぐらい探しましたが、フカフカなフェイクファー生地を揃えるのにもっとも良かったお店は、和歌山県にある「松山パイル織物株式会社」です。ここは、店頭販売は存在せず、メーカーから外注されたぬいぐるみ用生地を作っており、その余剰分となった生地を一般向けにネット販売しています。無料でサンプルを提供してくれますので、ホームページ上でサンプルを注文して、生地を選びます。同じ毛の長さと色の生地でも、伸び縮みできたり、毛の密度が異なるので、その後の作品の出来に大きな影響を及ぼします。
発送されたサンプルの生地
ゾウリエビのぬいぐるみ
甲殻類は脚が多いので苦労します。ある日、海でゾウリエビという、草履(ぞうり)のような扁平なエビを捕まえたことがあります。イセエビに近縁なエビで、食用にもなりますが、扁平な体に、つぶらな瞳がポツン、ポツンとあって、小さな触角を出しているところがチャームポイント。夜のサンゴ礁でよく出会えます。
可愛い奴なので、デフォルメせず、そのままぬいぐるみ化しました。歩脚は10本あり、よく見ると腹部(エビの「尻尾」)にも小さくて退化した遊泳脚が残っています。
これらの歩脚や遊泳脚は、まずフェルトで作っておいて、本体に挟み込んで縫い付けます。ゾウリエビにごく近縁な「ミナミゾウリエビ」という種がいるのですが、見分け方としては歩脚の黒い色と茶色がはっきり分かれているのがゾウリエビなので、これもフェルトで表現します(写真3)
エビやカニなどの甲殻類では、体の表面にあるトゲトゲの数が種の判別に重要です。トゲはぬいぐるみが完成した後に外から少しミシンで縫ってやると、生地が寝て、トゲトゲしているように見えます。
ゾウリエビの脚(赤矢印:歩脚の黒い色と茶色がはっきり分かれている部分)
甲殻類の世界で、新種の発表をするとき、新種であることを証明するためのスケッチを描きます。そして英文で特徴を記載し、審査を経て、学術雑誌に論文として発表します。これを新種記載論文と言います。私はウミクワガタの新種記載論文を書くのですが、ウミクワガタ類のような研究者が少なくマイナーな小型甲殻類は、後世の研究のためになるべく多くのスケッチを描きます。その一方で、あまりにもマイナーなので、同じ甲殻類の研究者の間でも形態をなかなか理解してもらえないことがあります。そこで、研究者が集まる学会発表のためにぬいぐるみを作ろうと思いました。
新種であることを証明するためのスケッチは、「描画装置」という、顕微鏡脇に置いた紙を、顕微鏡下で写し出してウミクワガタの形態をなぞりながらスケッチを描く特殊な装置で精密に描かれます。これをそのまま、ぬいぐるみの型紙に使い、ウミクワガタのぬいぐるみを作りました。
ウミクワガタのぬいぐるみ。本物の大きさは数ミリ〜数センチだが、約10倍の40cmほどの大きさ
カレサンゴウミクワガタ:沖縄のサンゴ礁域では比較的見つかりやすい。とはいえ、死サンゴや穴の多い岩を洗い出さないと滅多に見られないので、一般的にはかなり珍しい。この種類を、ウミクワガタのぬいぐるみのモデルとした。
ソメワケウミクワガタ(雌雄・幼生):ソメワケウミクワガタのオス成体、メス成体、幼生。本州(特に東北地方)に生息する。ウミクワガタ類は甲殻類のワラジムシ目(等脚目)に含まれ、幼生期に魚の血を吸うが、写真では、十分に血を吸った状態の幼生で、胸部が大きく膨らんでいる。3回、吸血と脱皮を繰り返し、3度目の脱皮で成体へ変態する。
ところがどっこい。学会のポスターの前でぬいぐるみを使って発表していたら、ぬいぐるみの作り方の議論になってしまい、研究の話ではなくなってしまいました。そのため、今では展示用や一般向けの講演などに使っています。私の母親や小学生ぐらいの子供たちをはじめとする一般の方々、海の生物が好きな方などに好評でした。そもそも、マニアックな甲殻類をぬいぐるみ化する発想が無かったからかもしれません。
ただ、博物館などで自由に触れるようにすると、子供たちにボロボロにされてしまうので、私の職場の博物館施設では、ガラス張りのケースに入れて、詳しく聞きたい方にだけ触れさせながら展示しています。講演でも私が手にとってお見せするような形で使っています。
ミュージアムショップなどで販売されているぬいぐるみも良いですが、こうした市販のものは、一定数売れる見込みが無ければ流通しません。最近は、マイナーな生物にもスポットが当てられ、だんだんマニアックな生物のぬいぐるみが販売されるようになりましたが、それでも、海へ行けば、魅力たっぷりの生き物に沢山出会えます。
また、ぬいぐるみを作ることによって、生きものの体の構造がよく理解でき、人に説明しやすくもなります。
もし、これは気に入った! あるいは、思い入れが強いという生きものがいたら、あなたもこの記事のようにぜひぬいぐるみ化をして、モフモフしてみませんか!
(海の生きものをもっと知りたい方へオススメ! 文一総合出版の関連本はこちら)
『美しい海の浮遊生物図鑑』
Author Profile
太田 悠造
鳥取県立山陰海岸ジオパーク海と大地の自然館 学芸員。昆虫採集のために沖縄にある琉球大学に進学したが、海の無脊椎動物も謎だらけで面白いことに気づき、クワガタのような甲殻類であるウミクワガタの研究を始めた。2010年、国立大学法人琉球大学大学院 理工学研究科 博士後期課程修了。
博士(理学)。専門は等脚目ウミクワガタ科の分類・生態学、地域自然史。現在は山陰海岸の海の生物の展示や教育普及を行いながら、日本各地の研究者と協力して海の生物相調査を行っている。
著書:海のクワガタ採集記ー昆虫少年が海へー(裳華房)
ホームページ:https://sites.google.com/site/haimushigurashi