ふだん何気なく食べている海苔(のり)。この海苔、冬に育つことをご存知でしょうか? 海苔はどんな生物なのか、そして意外にも東京湾で始まったという海苔養殖の歴史について、特定非営利活動法人海苔のふるさと会・事務局長の小山 文大さんが解説します。
網に付いて成長している海苔
1年365日、毎日が何かしらの記念日になっているといっても過言ではありませんが、皆さんは「海苔の日」があるのをご存知ですか? 毎年、2月6日が海苔の日と定められています。
由来はというと、今からさかのぼること約1300年前、701(大宝元)年に制定された日本最古の成文法典「大宝律令」です。そのなかに租税として各地から納めるべきものの一つに「紫菜(むらさきのり)」という名で海苔が出てきます。海苔は産地諸国の代表的な産物として、当時すでに大変貴重な食品であったことがうかがえます。
「大宝律令」 が施行された大宝2年1月1日を西暦に換算すると702年2月6日となるため、全国海苔貝類漁業協同組合連合会が、1966(昭和41)年にこの日を海苔の日と定めました。この由来を知ると、いかに昔から海苔が食べられていたかがわかりますね。
海苔
おにぎり、海苔巻き、ざるそば、ふりかけ、お茶漬け、ラーメンのトッピング…、海苔は現代の食卓でも欠かせない食品です。一見するとあまり栄養がなさそうですが、実は栄養がたっぷり。良質なタンパク質、ビタミン、食物繊維など健康に欠かせない成分をバランスよく含んだ自然食品です。なかでも赤血球を作るときに大きな働きをする葉酸が他の食品に比べるとずば抜けて多く含まれています。「1日2枚で医者知らず」「海の大豆」とも言われるほどです。
海苔のおいしさの秘密は、3つのうま味成分です。昆布のうま味のもとであるグルタミン酸、鰹節のうま味のもとであるイノシン酸、しいたけのうま味のもとであるグアニル酸。これらはアミノ酸の一種で、海苔にはなんと、この3つすべてが含まれています。
海苔は植物の「海草」ではなく「海藻」の一種で、胞子によって増えます。どちらも「かいそう」と読みますが、海藻は海に生息する藻類(そうるい)で、その色によって紅藻類、緑藻類、褐藻類の3つに分けられ、海苔は紅藻類に属します。寒天の材料になるテングサも紅藻類で、緑藻類にはアオサやアオノリ、褐藻類にはワカメやコンブなどがあります。これら海藻に対して、アマモなどの海草は海中で花を咲かせ、種子によって増えます。
海苔は複雑なライフサイクルを持っています。普通にイメージする海藻の状態は冬の間だけで、この時期が海苔の収穫時期で旬になります。この時は葉状体と呼ばれます。
春になり暖かくなると葉の周りが白っぽくなり、雌雄の生殖細胞ができ、果胞子(かほうし)が放出されます。この果胞子は貝殻に付着すると発芽し、石灰質に潜り込み糸状体という糸状の構造として夏を過ごします。
糸状体が潜り込んでいるカキガラ
秋になり水温が下がってくると、今度は成長した糸状体が殻胞子(かくほうし)を放出します。殻胞子が網などに付着すると発芽し、幼芽となります。さらに幼芽からは単胞子が放出され、殻胞子と同じように成長していき、葉状体としてまた冬を迎えます。
参考:海苔のライフサイクル(海苔で健康推進委員会HP)
http://www.nori-japan.com/seisan/seisan-index.html
長い間、海苔が夏をどのような姿で過ごしているかわかっていませんでしたが、イギリスの藻類学者キャサリン・M・ドリュー女史によって、1947(昭和22)年に解明されました。この解明により日本の海苔養殖技術は飛躍的に向上し、生産量の増加につながりました。
現在普通に食べている海苔のほとんどが、生物の名前でいうスサビノリまたはナラワスサビノリです。かつてはアサクサノリが養殖されていましたが、スサビノリのほうが生育が良く病気に強い、色が黒く艶がある(商品価値が高い)ことから1950年代にアサクサノリからスサビノリへと養殖の品種が切り替わっていきました。野生種のアサクサノリは絶滅危惧種に指定されており、2004(平成16)年に多摩川河口で発見されたときにはニュースにもなりました。
大宝律令に記述があるように昔から食べられていた海苔ですが、意図的に育てて収穫する、いわゆる養殖が行われるようになったのは江戸時代からだと考えられています。東京湾の浅瀬において、魚を海で生かしておく生け簀用に建てていた木に海苔がつくことに着目したのがきっかけだった、との記述も残っています。
海苔養殖が盛んになってきたのは、当時の税金である運上の記録から、享保年間(1716〜1736年)の頃だとわかります。場所は、現在は住宅地や物流センターとなっている東京の品川から大森にかけてのエリアでした。アサクサノリの生育には、適度の潮の干満と、遠浅で波静かな海面、栄養豊かな川が注ぎ込む河口の汽水域が適しています。その点、隅田川、江戸川、多摩川、その他中小のいくつもの川が流れ込む江戸前の海は海苔の養殖に最適だったのでしょう。品質は大変良く、御膳海苔として幕府にも納められていました。
「名所江戸百景 南品川鮫洲海岸」歌川広重
江戸時代の文献をみると、「海苔」ではなく「浅草海苔」と記載されています。当時は海苔=浅草海苔でした。この呼び名の由来についてはいくつかの説があります。
説① 昔は入江だった浅草周辺の海で海苔が採れた
説② 品川・大森で採り、薄い板状にした海苔を浅草で販売していた
説③ 薄い板状の浅草海苔の製法が当時の再生紙である浅草紙の製法からきている
しかし、いつの間にか呼ばれるようになった呼称のため、これらのどれとは断定できません。ただ、浅草海苔が江戸の海産名物であったことは間違いありません。生物としての呼び名でもあり、製品名でもあった浅草海苔に対して、1902(明治35)年、日本の藻類学の祖とも言われる岡村金太郎博士によって「アサクサノリ」という和名が付けられました。
江戸時代後期には、主に商人によって海苔養殖技術が直接・間接に太平洋岸に伝えられました。浜名湖、三河湾、和歌浦、気仙沼湾、上総浦、清水湾などです。このように大森から技術が各地に伝えられたことから、今も全国各地で海苔養殖が行われ、私たちがおいしい海苔を食べられるのかもしれません。
このような歴史から大森は「海苔のふるさと」と呼ばれています。明治になって以降も東京湾では海苔養殖が盛んに行われ、1939(昭和14)年まで質・量とも東京都が日本一の生産を誇りました。
海苔の漁場(昭和30年代)
約300年続いた東京都沿岸の海苔養殖も、1964(昭和39)年の東京オリンピックを前に東京港の港湾整備計画が浮上するなかで、東京港の改修と引き替えに1962(昭和37)年12月に東京都の全漁業組合が一斉に漁業権放棄するという形で長い歴史に幕を下ろしました。
東京都だけでなく千葉県と神奈川県の多くの地域でも埋立てのために海苔養殖が終わりました。しかし、千葉県と神奈川県のいくつかの地域では今でもまだ盛んに養殖が行われています。東京湾での海苔養殖はまだ終わっていないのです。
その味は濃厚で、ファンが多くいます。皆さんもぜひ一度味わってみてください。
大森には今でも約50軒の海苔問屋があり、全国約400軒の問屋のうち8分の1が一つの地域に集中しています。
海苔養殖が行われていたころは生産地問屋として全国に海苔を供給していたのが、養殖が終わってからは消費地問屋として全国から海苔を仕入れるようになりました。長い歴史を背景に海苔のおいしさを見極める目利きとして、おいしい海苔を提供できることが信用につながり、生産から50年以上たった今でも、流通の拠点として続いているのだと思います。小売りをしているところも多くあります。何軒か回って食べ比べてみるのも面白いですよ。
漁業権放棄後、廃業した生産者たちはさまざまな職種に転業していきました。元生産者たちにとっては海苔養殖のための船や道具は必要なくなり、他所へ売られたり処分されたりするのも思いのほか早かったそうです。
そんな状況を憂慮した大森の元海苔生産者の有志により1964(昭和39)年には道具の保存活動が始まります。この「大森海苔漁業資料保存会」によって集められた道具類は大田区に寄贈され、郷土博物館に発展しました。
さらに、この資料群をもとにした海苔生産用具は1993(平成5)年、国の重要有形民俗文化財に指定されました。また、道具の保存活動とともに大森地域での海苔養殖の歴史をまとめる活動も元生産者たち自らの手で行われ、大部の書籍『大森漁業史』として完成しました。
その後、大森の沿岸部に公園を整備する計画が起こり、どのような公園が地域にとって望ましいかを話し合うワークショップが開かれます。そのなかで公園内に海苔の資料館を建ててほしいという強い要望が地元住民から出され、その願いが2008(平成20)年、「大森 海苔のふるさと館」のオープンという形で実を結びました。施設は大田区立で、運営は元生産者が多く会員になっている特定非営利活動法人海苔のふるさと会が行っています。
海苔養殖の歴史や使われていた道具は展示を見ればわかるかもしれませんが、実際に道具をどうやって使っていたのかや使う際の工夫などは実際に体験してみないとわかりません。幸いなことにまだ元生産者の方たちがいるので、「大森 海苔のふるさと館」では昔の作業を体験できる催し物を毎月開催しています。
大切にしていることは、人から人へ伝えることです。そのなかでも毎回大好評なのが、昔ながらの方法で乾海苔をつくる海苔つけ体験です。参加費は無料で、元生産者の指導のもと一人2枚作ります。作った海苔は郵送で自分の手元に届きます。自分の手で作った海苔の味は格別です。興味のある方はぜひ参加してみてください。
海苔つけ体験
館がある公園には人工海浜である「大森ふるさとの浜辺」があり、そこでは海苔生育作業を毎冬行っています。網以前の養殖道具である竹ヒビを自分たちで秋に作り、それを昔の道具を使って浜に建てています。
また、自分たちで建てた支柱に海苔網を張り、育てています。場所が運河の最奥部という環境の制約もあり、収穫できるほど海苔が伸びるのは難しいのですが、海苔養殖当時の景観の再現と技術の継承を目的に毎年続けています。
ふるさとの浜辺の竹ヒビ
大森ふるさとの浜辺に行くと、冬の間はこのような昔の海苔づくりの様子を見ることができます。この記事を読んで海苔に興味が出てきた方は、ぜひ「大森 海苔のふるさと館」へお越しください。
大森 海苔のふるさと館 https://www.norimuseum.com
Author Profile
小山 文大
特定非営利活動法人 海苔のふるさと会 事務局長
ラムサールセンター副会長
2001年から学校・地域・企業・行政の協働で環境学習を推進する活動を始めました。大森 海苔のふるさと館には立ち上げから関わり、現在に至ります。来館者が東京湾での海苔づくりの歴史を学ぶことで、これからの海(自然)と人との関係を考えるきっかけになることを日々願っています。ここ数年は、東京湾の多様性を多くの人に知ってもらうために東京湾沿岸学習施設の連携に努め、東京湾ぐるっとスタンプラリーを毎年実施しています。
東京湾ぐるっとスタンプラリー http://www.tbsaisei-csr.net./stamp/