「ネコにマタタビ」は蚊よけのため——2021年1月21日、こんなナナメ上な研究成果が一斉に報道されたことは記憶に新しい。ネコにマタタビを与えると、酔ったように体をくねらせる現象はねこ好きに限らずよく知られている。しかし、なぜそうなるのかは、いっこうにわかっていなかった。それが「蚊よけのため」! 世間が騒然となったのもうなずける。でもいったいどっからそんな発想が出てきたんだ……。ネコとマタタビの新しい世界が開けて初の「ねこの日」を期して、この成果を挙げた研究チームにご登場いただこう。
前編ではまず、ネコが反応する物質の発見までの道筋をのぞいてみよう。
「ネコにマタタビ」ということわざがあるように、ネコがマタタビを大好物とすることは非常に有名な生物現象です。今から300年以上前に貝原益軒(かいばらえきけん)によって書かれた農業指南書「菜譜」には、マタタビの説明に「猫このんで食す」と記されており、江戸時代の浮世絵「猫鼠合戦」には、ネズミがネコを腰砕けにする武器としてマタタビを利用している姿が描かれています。このように古くからネコのマタタビに対する反応は日本人の大衆文化に溶け込んでいました。
浮世絵の「猫鼠合戦」とほぼ同じ時代に出版された,子ども向けの草双紙の「猫鼠合戦」。黒ネコ武将の旗印に「またたび」と書かれている(国立国会図書館デジタルコレクション)
・日本人研究者がつきとめた「マタタビラクトン」
科学的には、1950年代から1970年代にかけて、日本の研究者によってネコのマタタビ反応が盛んに研究されていた時代がありました。大阪市立大学の目武雄(さかんたけお)教授のグループは、マタタビからネコが独特な反応を示す化学物質を単離して、「マタタビラクトン」と名付けました。マタタビラクトンは、単一の化学物質の名称ではなく、マタタビから抽出されネコが反応を示す、イリドイドという特徴的な化学構造をもつ化学物質の総称です。マタタビラクトンには、イリドミルメシン、イソイリドミルメシン、ジヒドロネペタラクトン、イソジヒドロネペタラクトンなどが含まれます。
マタタビは山野に自生するつる植物。梅雨時に,先端の葉が白くなってよく目立つ(撮影/上野山怜子)
・仔ネコは反応しない
また,福島県立医科大学の片平清昭博士らは、マタタビ反応時におけるネコの行動や脳機能を精力的に研究し、8か月齢頃までの仔(こ)ネコはマタタビを好むような行動はまったく示さず、マタタビ反応の発現は、ネコの性成熟の時期とほぼ一致していると報告しています。
しかし、その後ネコのマタタビ反応を研究する者は減少していきました。そのためネコのマタタビ反応にどのような意味があるのか、なぜネコ科動物だけがマタタビに反応するのか、などの謎は未解明のまま現在に至っていました。
・一通のメールから
2012年の夏、有機化学が専門で高校生のころからネコのマタタビ反応に興味を持っていた名古屋大学の西川が、獣医出身でネコの生理学と行動学を研究していた岩手大学の宮崎に、「なぜネコ科の動物だけにマタタビラクトンが作用を示すか興味ありませんか?」という一通のメールを送りました。これがきっかけとなり、2013年から全く異分野の二人がお互いの専門性を生かしてネコのマタタビ反応の謎を解く研究をスタートさせました。
マタタビ反応を示すネコ。「マタタビ踊り」と言われる独特な行動を示す(撮影/上野山怜子)
ネコがマタタビと出合うと、マタタビの葉や枝をなめたり、かんだり、そして頬や頭をこすり付けたり、地面にゴロゴロ転がります(通称マタタビ踊り)。欧米では、西洋ハーブの一種であるキャットニップに対してネコが同様の反応を示すことが古くから知られています(欧米ではキャットニップ反応といいます)。マタタビやキャットニップに反応する動物は、ネコ以外にライオンやヒョウ、ジャガーなど十数種のネコ科動物で確認されています。
大型ネコ科動物(ジャガー)のマタタビ反応。イエネコとよく似た行動を示す(協力/天王寺動物園 撮影/上野山怜子)
興味深いのは、ネコのマタタビ反応が学習行動ではないことです。それまでマタタビを知らなかったネコでも、生まれて初めて嗅いだマタタビのにおいに、決まって同じ反応を示すので、嗅覚を介した本能行動の一つということができます。多くの研究者は、この反応は、ネコが単に陶酔しているだけと考えてきました。
しかし、イエネコと大型ネコ科動物が別々の進化の道をたどり始めたのは1000万年以上前のことです。それほど古い時代に分かれたにもかかわらず、どちらもマタタビのにおいに同じ反応を示すのです。現在のネコ科動物たちは、マタタビ反応に必要な遺伝子を1000万年以上も前の祖先から代々受け継いできたともいえます。このネコ科動物の長い進化の歴史を考えると、マタタビ反応には私たちがまだ何か見逃している生物学的に重要な機能があるのではないか。そう考え、次のような研究を行いました。
・ネコが反応する物質を特定しよう
独特のにおいをもつマタタビからは、さまざまな化学物質が揮発しています。その中にはマタタビ反応を引き起こすマタタビラクトンのように,生物が強い反応を示す化学物質(「活性物質」といいます)だけでなく、活性を持たない化学物質もたくさん存在します。ネコのマタタビ反応の謎を解明するためには、いろいろな物質が混ざっているマタタビそのものではなく、活性物質だけを使って調べたほうが、マタタビ反応によって生じる体への影響を明らかにできると考えました。
・強い反応を引き起こすマタタビラクトンが、マタタビ中に見つからない
そのためには、マタタビに含まれる活性物質の中から最も強力なものを選定する必要がありました。そこで、マタタビラクトンとして知られている物質(イリドミルメシン、イソイリドミルメシン、ジヒドロネペタラクトン、イソジヒドロネペタラクトン)を西川研究室で化学合成し、宮崎研究室でマタタビ葉中にこれらの化学物質がどのくらい含まれるかの測定と、それぞれの物質を同じ量だけ嗅がせた時のネコの反応の有無や強さを調べることにしました。
その結果、実に意外な事実が判明しました。マタタビラクトンの中でネコに対して最も長い時間マタタビ反応を引き起こしたイリドミルメシンが、何度分析しても、マタタビの抽出物から検出できなかったのです。また、その他のマタタビラクトンも、マタタビの葉にはわずかしか含まれていませんでした。ネコに与えているマタタビに含まれる量から計算すると、ネコに反応を起こさせるには足りないのではないかという疑念も生じました。マタタビ反応を引き起こすのは、これまで考えられていたマタタビラクトンだけではなく、まだ見つかっていないより強い活性物質が含まれているかもしれません。
・現代の技術で発見! 強い反応を引き起こすネペタラクトール
そこで私たちは、1960年代の研究では使われていなかった現代の分析技術を駆使して、新たにマタタビ活性物質の再探索を行うことにしました。この過程で、ネペタラクトールという、目教授らの研究では報告されていなかった化学物質が、マタタビから新たに見つかりました。
ネペタラクトールはマタタビラクトンと同じイリドイドの一種で、マタタビ葉に含まれる含量は他のイリドイドに比べると10倍程度多く、また同じ量で比較するとマタタビ反応を引き起こす活性も一番強いことがわかりました。ネペタラクトールの活性は、ジャガーやヒョウなどにも認められました。これらのことから私たちは、マタタビに含まれるネコ科動物への最も強力な活性物質は、ネペタラクトールであると結論付けました。
・うちのネコはマタタビに反応しません。なにか異常があるのでしょうか?
1960年代の研究で、約30%のネコはマタタビやキャットニップに反応しないこと、また反応は優性(顕性)遺伝することが報告されています。よってマタタビに反応しないネコは、マタタビ反応に必要な遺伝子を持っていないのだと思われます。その遺伝子を見つける研究をすでに私たちはスタートさせました。
・うちのネコは,小さいうちはマタタビに反応しませんでした。でも大きくなったら反応するようになりました。なぜでしょうか?
本文で紹介したように、性成熟する前のネコは、マタタビ反応しないことが報告されています。仔ネコのうちはマタタビ反応に必要な神経回路が未発達な可能性が考えられます。
・うちのネコは,ペットショップで売っているマタタビの実や枝より,生の葉の方が好きです。実や枝は,ネペタラクトールが少ないのですか?
私たちの分析では、生の実は葉と同等、もしくはそれ以上のネペタラクトールを含んでいました。生の枝は葉の10分の1くらいです。一方、市販のマタタビパウダーなどの中には、ネペタラクトールが検出されないものもありました。
・外国でマタタビのように使われている,キャットニップにもネペタラクトールがありますか?
キャットニップには、ネペタラクトールとよく似た化学構造を持つネペタラクトンと呼ばれる化学物質が含まれていて、これがネペタラクトール同様にネコに特異的に作用します。ネペタラクトンはネペタラクトールが材料となって植物体内でつくられています。しかし、私たちの分析ではキャットニップからネペタラクトールを検出できませんでした。これは、キャットニップ中で、生成されたネペタラクトールがすぐにネペタラクトンに変換されてしまうためと考えています。
参考論文
Uenoyama,R, et al., The characteristic response of domestic cats to plant iridoids allows them to gain chemical defense against mosquitoes. Science Advances. DOI: 10.1126/sciadv.abd9135.
Author Profile
上野山 怜子
岩手大学総合科学研究科大学院生。2年半前よりマタタビ研究に参画。今回の論文の主要な実験を全て担当。日本味と匂学会の優秀発表賞、天然有機化合物討論会の奨励賞、日本生化学会の若手優秀発表賞をはじめ数々の受賞歴がある。大の猫好きで、愛猫はマタタビ反応陽性。
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西川 俊夫
名古屋大学大学院生命農学研究科教授。博士(農学)。専門は有機合成化学。フグ毒、植物やキノコの成分、抗生物質など二次代謝産物(天然物)を化学的に合成し、その生物学的意義の解明を目指す。著書に「天然物の化学」(12章担当)、「天然物の化学II」(16章担当)(いずれも東京化学同人)がある。
https://www.agr.nagoya-u.ac.jp/~organic/
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宮崎 雅雄
岩手大学農学部教授。博士(農学)。専門は分子生体機能学、獣医学、分析化学。においやフェロモンを介したネコの嗅覚コミュニケーションやネコの腎臓病の研究、におい分析装置の開発を行っている。大学ではネコ、家ではイヌに囲まれた生活を送っている。