第1回:淡水魚 × 生態学者 〜外交官から研究者の道へ
生きものにかかわる仕事と人物を紹介する連載、「生きもの仕事図鑑」がスタート!
第1回目は、外交官から淡水魚の生態学者になったという異色の経歴をもつ、アメリカ・コロラド州立大学助教授の菅野陽一郎さんをご紹介します。
Bluehead Chubの産卵床に押し寄せ、そこで産卵間近のYellowfin shinerの群れ(サウス・カロライナ州河川。写真提供:Seoghyun Kim)
−−対象としている生物と、どんなお仕事をされているかを教えてください
アメリカのコロラド州立大学で、淡水魚、特に川魚の生態と保全について研究・教育をしています。イワナやマスに代表される渓流魚(ブルック・トラウトやカットスロート・トラウト)を扱うことが多いですが、一般に「雑魚」と言われるようなコイ科の小型種からブラックバスやチョウザメを研究したこともあります。
コロラド州ロッキー山脈の河川でテンカラ竿で釣ったカットスロート・トラウト
コロラド州Trappers Lakeという標高約3,000mの湖で釣ったカットスロート・トラウト
僕は基礎研究より応用研究の割合が多く、ブラックバスのような釣り対象種や様々な人為的要因で減少傾向にある種(絶滅危惧種を含む)をどのように管理・保全していくかというテーマについて、生息地や生態系全体の状況も踏まえながら考察しています。その過程で、遺伝子、個体、個体群、群集という様々なレベルに焦点をおいて、自然河川でのデータ収集や野外実験を行っています。データ分析も重要で、統計学の専門知識も欠かせません。
大学の教員なので、学部・大学院レベルの授業も担当します。これまで、魚の保全生態学や内水面(河川・池・沼など)での水産管理、河川生態学などを担当しましたし、野外実習が組み込まれている授業もあります。野外実習は学生にも人気があり、淡水魚の場合、野外実習で実際に採集して手にとって観察できることが多く、クマやライオンではそうは行きませんので、淡水魚を身近に感じる上での強みだと思います。大学院レベルでは応用統計学を担当したこともあります。研究室にいる大学院生やポスドク研究員の研究指導も行います。
更に、情報・技術普及にも焦点をおくアメリカの州立大学(land-grant universityと言います)に在籍しているので、連邦・州政府やNGOなどへのアウトリーチ活動もあります。その他に大学業務もあります。所属する学科からは、研究:教育:アウトリーチ活動で55%:35%:10%くらいという指針をもらっているんですが、全部を足すと130%くらい働いている気がします(研究50%:教育60%:アウトリーチ20%くらいでしょうか)。
(サウス・カロライナ州)Oolenoy Riverでの野外実習風景
(コロラド州)North Fork Poudre Riverでの野外実習風景。4年生を対象にした淡水魚の保全生物学の授業の一環。
−−今のお仕事を始めたきっかけや理由はなんですか?
小さい頃から魚が好きで、アマゾンのナマズとかアフリカのシクリッドなどの熱帯魚は常に水槽にいました。父親と海釣りにもよく行きましたね。でも、魚の生態学の仕事をするとは夢にも思ってもいませんでした。そもそも、物理や化学が苦手で、いわゆる理系の仕事は向いていないと思っていました。ただ、高校時代に環境問題や国際問題に強い関心を持っていたのはよく覚えています。
そのため、グローバルな環境問題や海洋での水産資源管理に携わる仕事を念頭に置きながら、明治大学の法学部に進み、国際環境法のゼミに所属したりしていました。在学中に外務省専門職員試験に合格し、環境問題の解決という国益を「グローバル益」も考えながら推進したいと考え、1999年に外務省に入省しました。この時点までは、生態学などやったことはなかったですし、生態学の仕事があるとは想像していませんでした。
転機となったのは、入省後の職務研修の一環で、カナダのダルハウジー大学の大学院で2年間環境学を学び、修士号を取ったことでした。この時に、初めて生態学の授業を取ったり、電気ショッカーという川に電流をながして魚を捕る方法を使って野外調査を行いました。この時に、自分でも生態学ができるという自信と生態学は面白いという興味が芽生えました。また、北米では連邦や州政府が淡水魚を勉強した人をFishery Biologistという肩書きで雇用するのが珍しくなく、淡水魚の保全・管理の仕事の存在を知りました。その後、大使館や外務本省での仕事もしたんですが、やはり水圏生態学をやりたいということで、外務省は退職して2006年に博士号を取得するために渡米しました。当時は博士号を取った後は日本に戻ってくるんだろうなと思っていましたが、コネチカット大学での博士号取得後、ポスドク研究員のポジションを2つやり、運よくサウス・カロライナ州クレムソン大学での教員職にありつけることができ、更に2017年よりコロラド州立大学での現職に就いています。
現職の前任者であるカート・ファウシュ博士(Dr.Kurt Fausch)は、故・中野繁博士らとの共同研究で日本でも渓流魚の生態・保全研究をされた方で、その方の後任として着任するのに強い縁を感じました。そんなこんなで、気が付けば、僕は2006年に渡米してから、12年が経ちました。
河川での調査風景
キャンパスにて
−−生態学の分野に移行した際の苦労や、外交官・法律学の経験が活かされたことはありますか?
苦労や苦痛と感じていたわけもではないんですが、学部で法律を学び大学院から生態学を始めたことで、ゼロから学ばないといけないことが多かったとは思います。そもそも魚の分類系統も学問的に知りませんでした。博士号を取得する途中の総合試験でもあまりにも魚の分類系統ができなかったので、学部レベルの魚類学の授業を聴講するようにと条件付きで試験をパスさせてもらいました。いま当たり前のように行っている統計分析も当然基礎知識がなく、色々と文献や教科書を読み漁って自分なりに理解を深めていきました。興味があったので、苦労とは思いませんでした。
外交官・法律学の経験は生かされていると思います。先ほども申し上げたように僕は基礎研究よりも応用研究が多いので、科学を政策や実際の種の管理にどう反映させるかという点に関心があります。魚が通りやすい魚道のデザインとか、魚資源を持続可能に利用していくための漁獲制限だとか、そういう問題には魚の生態学の知見が必要ですが、実際に河川や漁業管理者とコミュニケーションをしていく必要があります。自分もそういう行政サイドにいたこともあり、何となく相手側の事情もわかりますし、政策立案のプロセスなどの経験も役に立っている気がします。
更に、アメリカでは分野横断的な学際的なプロジェクトが多く実施されています。例えば、僕が今いるコロラドは降水量が少なく、水の権利(water rights)を自治体や農業従事者が競って確保しているという状況で淡水魚の保全を行う必要があります。そういう中での魚の保全には、生態学だけでなく、法学・経済学・農学などの専門知識が必要になるわけで、大学キャンパス内でそういう学際的なチームを作ろうといった時にも以前の経験がある分、相互理解が促進されます。
−−1日のようすを教えてください
まちまちで、一概には言えません。アメリカの場合、8月から翌年5月まで授業があります。この間は、授業の準備や採点、学生指導や種々セミナー・会議があり、教育活動と研究活動の両立が求められます。夏の間はフィールド調査も多くなり、泊りがけの調査もあります。コロラド州は広いので州内の調査地まで片道6~7時間となることもあります。
授業がない夏の間は、論文と外部資金獲得のための研究計画書をできるだけ集中して書くようにします。アメリカ人に見習うべき点として、できるだけ仕事とそれ以外の時間の両立を心がけているということが挙げられます。アメリカ人も勤勉でよく働くんですが、エクササイズや趣味、それから家族との時間をしっかり確保するよう最大限の努力をしていて、そういうメリハリが仕事へのエネルギー源になっているように思えます。
コロラド州フォートコリンズ市郊外のNorth Fork Poudre River
−−いちばんワクワクするのはどんなときですか?
色々とワクワクするんですが、仮説・私見に沿ったデータが得られたときはワクワクします。生き物を扱っている研究者の多くは、まず自分の扱っている生物について観察し、他の文献も参考にしながら、おそらくこういうことが自然界で起こっているのではないかと予想をします。それが仮説となり、その仮説が合っているかどうかデータを収集・分析して精査します。その過程が生態学が科学であるゆえんであり、自然の中で起こっていることについて考える醍醐味だと思います。自分の思っていた仮説がデータに支持されない場合も発見があるんですが、思い通りのデータが出たときはやはりワクワクします。
あとは、もちろん生き物を見るのも好きです。婚姻色のしっかりでた淡水魚の中には、本当にきれいなものがいます。
婚姻色のGreensea darter
産卵期のYellowfin shiner(赤い個体)。一部にRosyface chubが混じっている(やや紫がかった銀色の体色)。(サウスカロライナ州河川。写真提供:Seoghyun Kim)
−−いま北海道の河川で調査をされているそうですが、アメリカとの違いや興味深い点はありますか?
今夏は京都大学生態研究センターで招聘研究員として3か月お世話になっており、同センターの宇野裕美先生や北海道大学の岸田治先生たちと北海道大学・雨龍研究林で氾濫原生態学と渓流魚による利用を調査しています。北海道北部の名寄市近郊にある研究林なんですが、5月頃まで残雪があるようなところで、その雪が解けるときに川が一気に増水して氾濫します。氾濫原にはエゾイワナやヤマメがいますし、サンショウウオやカエルが卵を産みにきます。こういう川と氾濫原の横の繋がりが生態系にどのような影響があるのか、試行錯誤しながら研究しています。この雪解けの時期は一気に生物活動が増えて、環境がどんどん変わっていくので、僕が今までアメリカで経験したことがないようなダイナミックなシステムだと思います。いつもアメリカで見るブルックトラウト(イワナ属)が北海道ではエゾイワナに、ニジマスがヤマメに代わるのも新鮮です。あとは演習林の施設やサポート体制がしっかりとしていて、組織だってのフィールド研究ができる体制になっているのに感銘を受けました。アメリカにもフィールド研究ステーションはありますが、これまで利用したことがないので、北海道に来て演習林という存在の重要性を有難く感じています。
雨龍研究林での調査風景
婚姻色のイトウ
水中のイトウ
−−今のお仕事を通して、どんなことを目指していますか?
科学者の立場からすると、しっかりと研究するということは当たり前なんですが、できるだけ科学を情報発信することを目指しています。もう少し踏み込んで言えば、研究で得られた知識を保全政策に生かしていくことがこれまで以上に重要だと思います。
そもそも、アメリカの大きな州立大学では一般的なのですが、応用研究に重点をおく保全生物学科と、基礎研究に重きをおく生物学科の間では研究の方針が異なり、私のいるコロラド州立大学では前者は自然資源学部、後者は自然科学学部という違った学部に属しています。
僕の所属先の学科は、魚・野生動物・保全生物学科という名称です。研究成果をうまく保全に結びつけて、一般メディアやツイッター・フェイブックなども使いながら、どういう人為的活動が生き物や生態系を脅かしており、我々一人ひとり、または、社会が何ができるのかという情報発信を行っている教員が多く、これは是非見習おうと思っています。教員の活動範囲もグローバルで、アフリカでゾウの研究や保全を行っている方や北極・南極の哺乳類保全など様々です。一昔前と違って、論文だけ書いていたんじゃ駄目という共通認識が強いです。
それから、教育者の立場からすると、次世代の育成は重要な仕事だと思います。アメリカでは難解とされる学問を「Rocket science」(ロケットづくりのように高度で難しいという意味)と言いますが、保全生態学も本当に難しい学問だと思います。フィールド調査やラボでの実験・プロセス、データ分析やコミュニケーションなど、多くの分野での高い能力が求められます。自然は元来流動的で、年変動が大きく、研究が難しいシステムです。
また、生態学だけの知識だけでは生態系を保全することはできず、学際的なアプローチも必要です。世界の人口が増え続け、気候変動という新たな脅威も顕在化する中、生態学を学びそれを保全に活かすことのできる人材育成を目指したいと思いますし、自分も一層努力をしなければと思います。
(編集後記)
外交官から生態学者という経歴は一見珍しいように思えますが、その根底にあったのは「環境問題や国際問題の解決」というもっと大きな課題。科学知識だけでなく政策などの経験を活かして魚類の保全にとりくむ姿勢に、国や職業という枠を越えた「仕事」を感じました!
Author Profile
菅野 陽一郎
1978年東京都生まれ.明治大(法学学士),カナダ・ダルハウジー大(環境学修士),アメリカ・コネチカット大(自然資源学博士)卒。外務省を経て,水圏生態学を学ぶ.現在はアメリカ・コロラド州立大学魚・野生動物・保全生物学科助教授.専門は淡水魚の生態と保全.
ホームページ:https://sites.warnercnr.colostate.edu/kanno/
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