第2回:アリ×サイエンスコミュニケーター 〜科学をわかりやすく伝える
生きものにかかわる仕事と人物を紹介する連載、「生きもの仕事図鑑」。
第2回は、サイエンスコミュニケーターの吉澤樹理さんをご紹介します。
アリや科学のおもしろさを伝える活動をされている吉澤さん。もともとは教員になるつもりで大学に入り、アリ好きではなかったとのこと。サイエンスコミュニケーターとなった経緯や仕事の魅力を、BuNa編集部がインタビューしてきました。
立教大学が主催するイベント「おもしろサイエンスワールド」でお話する吉澤さん
−−(BuNa編集部) まずは、サイエンスコミュニケーター…というのは、どういったことをする方の名称なのでしょうか?
(吉澤樹理さん) 私の場合は東京都豊島区にある立教大学に所属し、地域の人や子どもたちに授業・イベントを通して科学を伝えたり、交流を深めるという活動をしています。立教大学では「教育研究コーディネーター」という役職なのですが、これは立教大だけの名前なので、大学外で活動しているときは「サイエンスコミュニケーター」と名乗っています。
−− サイエンスコミュニケーターという名前は聞いたことがあります。他の大学にもある職種なのでしょうか?
いえ、他の大学ではほとんどないですね。サイエンスコミュニケーターを養成している大学や科学館の講座はあります。
−− 職種としてはまだそんなにあるわけではない、ということですか?
そうですね。求人の数が少ないか、あってもそれでは食べていけないので、どこか別の機関の役職に所属していて、もうひとつの名前としてサイエンスコミュニケーターという名前を使っている方が多いですね。
−− 吉澤さんの場合は、どんなお仕事をされていますか。
たとえば、8月には「おもしろサイエンスワールド」という大学が主催する一般の方向けのイベントがあって、今年は「魚のたべもの」というテーマでした。魚のたべものであるゾウリムシやミジンコを紹介するテキストを作り、2時間半くらいの実験ができる内容を考えます。
イベントでや授業で使用するテキストは、一からご自身で作っているとのこと。
また、パンフレットを作って、配布してもらえるよう学校の先生にお願いして、抽選の申し込みを処理して、という企画運営をゼロから全部やっています。意外と、抽選の当落と連絡業務が大変です。イベントには大学にいる知り合いの先生をお呼びして、イベントの最後の30分の説明をお願いすることもあります。大学の先生ってこんなことやってるんだよー、というふうにバトンタッチしています。
小学校4年生~6年生のみの応募なのですがけっこう申し込み人数が多く、抽選倍率も4倍ほどなので、毎年希望する子どもがイベントに参加できるわけではないんです。なので、科学に触れる「きっかけ」として企画しています。たとえばイベントで使う顕微鏡は豊島区内でも数が少なくて、学校の授業では4~5人に1人で使ってじっくり見られないでいるそうです。イベントでは、大学から借りてきて1人1台ずつ実体顕微鏡と生物顕微鏡を使えるようにしました。そうすると、普段はほとんど使えない顕微鏡で長時間観察することができて、「あ、こんなに顕微鏡っておもしろいんだ」と思ってくれるみたいで、「顕微鏡を買いたいんですけど、どれがいいですか」とか、イベントのあとにメールが届いたりしますね。
生物顕微鏡を使ってミジンコを観察する参加者
教材のテキストには私の連絡先が書いてあっていつでも連絡してねと伝えているので、イベント数は少ないのですが、そういうところで子どもたちともコミュニケーションできればと思っています。興味がない子に「こうだよ、こうだよ」と言ってもなかなか難しいので、10人でも20人でも、跳ね返ってくる子がいればいいかなと思っています。
−− 学校や子どもたちと関わるお仕事が多いんですね。1年を通しては、どんな予定が多いのでしょうか?
イベント自体は年に数回で、4~7月くらいまでは授業の調整や企画提案をしています。9月から3月までは、私が標本や道具などの教材を背負って学校を訪問する活動をします。小学校には放課後に参加する「クラブ活動」という制度があるんですが、「科学クラブ」に科学のゲストティーチャーとして訪問し、セミの抜け殻や、植物の種、花粉伸長といったテーマを紹介しに行っています。あまりにも荷物が多くて、職務質問されたこともあります(笑)。
あとは2月には教員研修があって、豊島区の小学校の理科の先生向けに講師として授業を行います。昨年はヒアリ騒動があって、私の専門がアリだったので、実際のヒアリの標本を見たり説明しました。小学校3年生は授業でチョウの観察をするんですが、2016年にはチョウの観察の授業をして、長生きする飼育の仕方、チョウの採集方法、標本の作り方や見方についてアドバイスをしながら実習をしました。
私はもともと科学館にいたこともあり、物を作ったり人と喋るのも大好きなので、今の仕事では得意なことを活かせていると思います。こういう業務の合間に、学会に行ったり、論文を書いたり、自分の「ありラボ」という活動もしています。(東京アリ類教育研究所-ありラボ- https://www.tokyo-ari-labo.com/)
科学クラブで吸虫管について説明する吉澤さん
職務質問されたときの荷物。科学クラブで使う教材が入っており、吸虫管づくりの材料でいっぱい
–– イベントやクラブ活動では、何人くらいのお子さんと出会うんですか?
おもしろサイエンスワールドのイベントは1回につき保護者の方も含めて30人程度ですが、科学クラブは1年で約20校×30人なので、年間600人くらいの子どもと会います。
–– すごい人数ですね!
けっこうクラブでやったことを覚えてて、「前回なにやったか覚えてる?」って聞くと「覚えてるー!」って。聞いてなさそうなんだけど聞いてるんだなと思います。
–– アリについては、どんなことを教えているんですか?
吸虫管を使ってアリを捕まえてみよう、標本を作ってみよう、同定表を使ってアリの種類を調べてみよう、とかですね。なるべく小学校の周りで見つけられるアリの標本や生体を持って行って、覚えてもらうようにしています。今は、自分の学校の校庭でアリを採集して標本を作ってもらっています。最初は「やだー、なんでこんなのやらなきゃいけないの」とか言っているんですけど、誰かが採れると俺も私も、となって、最後はそういう子に限って1番ハマるんですよね。「俺が一番多く採れたー!」みたいな。
吸虫管でアリを吸っているところ
–– 吉澤さんも、子どもの頃からアリが好きだったんでしょうか
いえ、生きものは1つもダメで、まさかこんなことになるとは夢にも思っていませんでした。もともと、学校の先生になりたいと思って岐阜大学の教育学部に入学しました。大学3年生のときに「半年でアリを20種類岐阜県と愛知県内で捕まえてこい」という授業があって、種類も調べないと単位もあげません、という内容でした。「そんなの簡単じゃん!」って思ったんですけど、1ヶ月で2種類くらいしかとれなかったんです。これは本気出さないとダメだと思って、みんな最初はピンセットでアリを採っていたんですが、そのうち素手で捕まえ出して。もっと効率の良い方法がないか先生に聞いたら、「自分で吸虫管を作れ」と言われて、作って。吸虫管で採集すると早かったので、どんどんアリ探しにハマっていきました。
–– 先生はそれほど教えていないんですね。すごくおもしろい授業ですね
はい。そして、20種類採れるころにはもう「私はアリの研究をするんだ」となっていました(笑)。あれは先生の戦略だったんだなと思います。
すごいことに、日本はアリを調べるための検索表が無料で公開されているんです。それを見て「すごいすごい」と言って。(→日本産アリ類画像データベース)
その後、研究室はそのアリの先生のところに行くことにしたんですが、親からはすごく反対されて、「アリなんか行っても職業ないから!」と言われました。4年生になるころには大学院に行くつもりはなかったんですが、4月のあるときアリを顕微鏡で見ていたら、なんか変だなぁというアリがいて、先生に見せたらワーワー騒ぐんですよ。なんだこの人は? と思ったら、そのアリ、体の片方がオスで、片方がメスの姿をしていたんです。
–– 雌雄モザイクだ!
(※雌雄モザイク:本来は1個体にオス、1個体にメスだが、突然変異などにより1個体にオスとメスの両方の性が見られる個体を言う)
そう! でも、「それは数百か数千に1匹しか出ないアリで、たまたまだから。実験にはならないから、忘れなさい」と言われたんです。でも、そう言った次の日、また同じような変なアリが出たんですよ! それで、「先生出ましたよ?」って言ったら、「いや〜これもたまたまだから」って。でも、3匹目くらいが出たときに、先生も「これは何か違うかもしれない、ちゃんと記録しておこう」と。雌雄モザイクの研究って、実はあまりないんです。そういう経緯で、4年生のときはアリの雌雄モザイク中心の研究をしましたね。
たとえば、これは私が書いた論文なんですが、雌雄の形態の違いを色分けして、わかるようにしたものです。グレーの部分がメスで、白い部分がオスですね。そのパターンが7種類に分けられるよという内容です。
–– えっ、雌雄が上下で分かれていたり、左右半々でモザイクじゃない場合もあるんですか。
はい、たとえば頭だけメスだと、動きはメスなんです。半々だと、動き方もメスとオスのそれぞれの動きだったり、どちらでもなかったりします。
こんな感じでもっとハマってしまって、大学4年生から修士まで、ずっとモザイク中心の研究をしていました。
吉澤さんが修士課程のときに書いた、アリの雌雄モザイクについての論文。左図のグレーの部分がメスで、白い部分がオス
ヒヤケハダカアリ(マレーシア産)の雌雄モザイク個体。写真ではわかりにくいかもしれないが、頭部の上半分が無翅オス、下半分がメス(働きアリ)。胸部と腹部は無翅オス。雌雄モザイクを見分るポイントとして、触覚の太さ(オスは太いが、メス(働きアリ)は細い)、目の位置(オスとメスとではずれている)などが挙げられる
–– アリがおもしろすぎて、修士課程まで行ってしまったんですね。
もともと研究職に行く気がなかったので修士で終わろうかなと思っていたんですけど、進路を決める時期がちょうど論文査読が通るか通らないかのタイミングで、じゃあ論文が受理されるまでは博士課程に居よう! と思って。でも、博士課程に進学して半年後くらいには論文が受理されて、もうこれでいいかなと思ったんですけど、そういうときに限っておもしろいことをまた発見して、「やめられない〜」ということになりました。
–– 博士課程が終わるころ、その後の進路についてはどう考えていましたか?
家族はもう研究者になるものだと思っていたんですけど、私は博士課程に入ったときにすごく違和感があって。先生方に
「自分たちの研究を一般の方に伝えることはしないんですか? 自分の研究を人にわかってもらわないと、意味ないですよね?」と聞くと、「いや、なんで、内容を話してもわからない人たちに自分の時間を割いてまで伝えないといけないんだ?」と言われたんです。でも、私はやっぱり「地域や一般の人に愛されてこその研究なのでは」「自分は研究者に向いていないな」とそのとき思って、だったらそれを伝える側に回りたいと思いました。半分教育学部で半分農学部出身だったので、自分だったらそういう人になれるかもしれないと。
その後、どこでそういう仕事ができるのかを調べて、博物館の教育普及係か、科学館のどちらかだなと考えました。ただ、博物館は本当に空きがなくて、倍率が100倍とか。日本全国に電話したんですが「10年後に電話してきて」と言われたりして。それで、もう博物館じゃなくて、科学館しかないと思ったのですが、そんなときに運よく東京の杉並区立科学館に空きがあって入れることになりました。そこから東京に来て初めて、科学のことを伝える人のことを「サイエンスコミュニケーター」と言うんだと知りました。
この杉並区立科学館は普通の科学館とは少し違って、小学校や中学校から来た子どもたちが授業の一環として科学実験をできる、という科学館でした。コイ・カエルの解剖をやったり大規模な流水実験をやったり、学校の先生みたいなことをしていましたね。5〜6年前は科学館と学校が連携しなさいという文科省からのお達しがあったので、全国の他の科学館の人たちが杉並に授業を見に来てました。
そこは廃館になってしまったんですが、まだあればそこに居たかもしれませんね。いまは日本で2つくらいしかそういう科学館がないんです。
私はどうしても同じような仕事がしたかったので、現在はこの職業に就いています。立教大のサイエンスコミュニケーターは授業の補佐もできるし、自分が今までやっていた地域連携や科学教育普及の仕事も両方できる内容で応募が出ていたので、応募が出た時にすぐ受けました。
–– ちなみに、先ほどお聞きした「ありラボ」という活動は、どういったものですか?
アリについての情報をまとめたホームページを更新したり、アリのイベント活動を行っています。もとはといえば、杉並区立科学館にいたときに、アリに関する質問の電話がものすごくかかってきたんです。そのときは私に直通の電話がなかったので、事務の方に「個人メールをつくるか何かどうにかしてくれ」と言われて、じゃあ、個人ホームページをつくっておけばアリのことを知りたい人はそこに来るだろう、と思って作ったのがきっかけです。
–– アリのことを知りたい人がたくさんいて、何か用意しておく必要に迫られたということですね。
そうですね。採集の仕方がわかりませんとか、このアリはどこにいるんですかとか、そういう質問はここを見てくれと(笑)。あとはこの道具はどこにあるんですかという質問があれば、リンクを貼っておいたり。で、どんどん内容が増えていきました。
(東京アリ類教育研究所-ありラボ- https://www.tokyo-ari-labo.com/)
ありラボのトップ画面
吉澤さん手作りのヒアリ缶バッチ。このほかにもいろんなアリの種類のグッズがあり、博物ふぇすてぃばるなどのイベントで販売している
–– アリってそんなに人気があるんですね!
昨日も、福岡から東京に来た子がアリについて質問しに来ていて3時間くらい居たのかな。最後はカブトムシの標本も作っていきました。
–– 福岡といえば、九州大学などのアリ研究者の方も多そうですが…
たぶん、何かわからないことがあっても聞きづらいんじゃないでしょうかね。「大学に連絡するというのはすごくハードルが高い」という意見がお問い合わせのメールに書いてあったりします。私は気軽なアリのキャラクターをホームページに載せたりしているので、「こちらで聞いてもいいですか?」という連絡は多いですね。そんなふうに、気軽に質問できて、もし専門的なことが知りたければ他の先生に回せる、という中間的なポジションにいたいなといつも思っています。
–– 専門職の方でも多忙だったり、大学で学んだとしても知識を活かせる就職先が少なかったりして、中間に居づらいという状況が今はありますよね。
仕事があるといいんですけど、今そういう職業があまりないんですよね。周りのサイエンスコミュニケーターの方でも、本業をやりながら自分の稼いだお金のなかでイベントをやったりするという状況を聞きます。私がメールでの質問に答えるのも、たとえば映画やドラマでアリのシーン監修をしてほしいという依頼も、ほとんどボランティアで対応しています。それはそれでいろんな方との出会いがあって面白いんですけどね。
ただ、最近はアリを題材にした映画や話題も多いんですが、アリって他の蝶やなんかと違って見つけたら全部が同じ「アリ」だと思われているので、そこはちょっと変えていきたいなと思っていますね。
–– アリを見つけて、ヒアリかと思って全部殺しました、という人もいると聞きます。
そうなんです! 日本ではまだ時間がかかると思いますが、アリにもいろいろいるということを、ちょっとでも知ってもらえれば、何か変わるんじゃないかと思います。
–– 今後の活動や、お仕事について何か展望はありますか?
お話ししたことと繋がるんですが、まずアリを知ってもらうために、今『身近なアリけんさくブック』というアリの本を作っています。もちろんアリ図鑑はすでにいろいろなものがあるんですが、アリを全然知らない初心者の方に見せても、大きさが違うのでわからない、使えないということが多いんです。初めて調べる人のための図鑑を作って、アリのイベントやおもしろさを伝える活動をしていきたいですね。
あとは……なんでしょう、安定した職をゲットすること(笑)。でも、正直言うとほんとにそうで、仕事をしていても安心できない。来年は仕事がないかもしれないと頭の片隅にいつもあるのは、嫌ですね。難しい問題ですが、1人でやるのは限界もあるので、同じ考えの仲間と一緒にやっていって、活動を広げていきたいなと思います。
–– ありがとうございました。
吉澤 樹理さん プロフィール
1981年愛知県生まれ。岐阜大教育学部(教育学学士)卒。その後、同大学大学院農学部に移動し、農学修士、農学博士を取得。杉並区立科学館、板橋区立教育科学館を経て、サイエンスコミュニケーターの道へ。現在は、立教大学理学部教育研究コーディネーター。
『身近なアリけんさくブック』の情報
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