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6/10 2020

出没! 都市と野生動物

第1回:都市に帰って来た、東京のタヌキ

野生動物の出没と人間のかかわりを考える連載「出没! 都市と野生動物」。第1回は、東京都での生物調査や保全活動に取り組む川上洋一さんが、都市とタヌキの関係を解説します。
 

ここ数年、里山の動物たちが人間の生活圏にも現れたというニュースをよく目にします。イノシシやシカが大都市近郊の住宅地に出没し、東京都心ですら白昼にアライグマやハクビシンが現れて、警察による大捕物劇が報道されることも珍しくありません。何か動物たちに異変が起こっているのでしょうか。なぜ動物が里山から都市にやってくるのか、種類別に考えてみたいと思います。
第1回目は、日本人に最も親しまれている野生動物とも言えるタヌキです。

冬毛のタヌキ(撮影:佐久間 聡)

「タヌキ=里山にいる」というイメージ?

かつては、タヌキの棲み家は里山で、都市とは縁がないというイメージが強かったのではないでしょうか。過去には、里山が開発されて棲んでいたタヌキが追い出されるというストーリーのアニメ映画も人気を呼びました。現在でも都会に現れたタヌキに対して「かわいそうだから山へ返してあげてほしい」という意見を、マスメディアやインターネットでよく目にします。
 
実際にはどうでしょう。すでに東京のタヌキは、23区内のほぼすべてで目撃記録があると言われています。まとまった緑地のある河川敷や公園などはもちろん、ビル街のど真ん中にある皇居にまで棲みついているほど。明仁上皇が天皇時代に、東宮御所にいるタヌキの食性を調べて共著の論文にまでされたことは、大きく報道されました。

ビル街に囲まれた皇居にもタヌキが生息

しかし皇居のタヌキも、初めて確認されたのは1999年。当時はあまりの意外性に、専門家のあいだですら「ペットとして飼われていたものが放されたのではないか」とも言われていました。その後の経緯を見ると、どうやら周辺部から分布を拡大してきたと考える方が合理的なようです。それではまず、過去のタヌキは東京でどのように暮らしていたのか、歴史を振り返ってみましょう。

江戸とタヌキの歴史

罡田國輝畫「本所七不思議之内 狸囃子」(Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kuniteru_Honjo-nana-fushigi_Tanuki-bayashi.jpg より)

今から150年以上前の江戸時代。東京に名前が変わる前の江戸は、すでにロンドンやニューヨークに匹敵する世界有数の大都市でしたが、タヌキは珍しくなかったようです。
 
その理由の一つは、江戸の範囲が非常に狭かったこと。市街地はほぼ16km四方に限られ、その外側は水田や畑、雑木林が広がる農村でした。本所(現在の墨田区)に伝えられる七不思議の一つには、タヌキが人をだましてヤブやぬかるみに誘い込む「馬鹿囃子」があげられていますが、これも町外れにそんな環境があったからでしょう。
 
もう一つの理由は、江戸の面積の70%が大名屋敷だったこと。ここには各藩主や家来たちの住居だけではなく広大な庭園がありました。現在の東京でも、新宿御苑(新宿区)、小石川後楽園、六義園(共に文京区)といった公園から、迎賓館(港区)、東京大学本郷キャンパス(文京区)などの公共施設まで、緑の豊かな環境のほとんどは大名屋敷の跡地が整備されたもの。残されている自然を見れば、かつてタヌキの生息地であったとしても不思議には感じないでしょう。実際に近年になって分布を広げてきたタヌキが棲みついている場合も少なくありません。

肥後細川庭園(旧熊本藩細川家の抱屋敷)

江戸から東京へ タヌキの受難

しかし、その後に江戸が東京になるとタヌキ受難の時代が始まります。市街地が急激に拡大して農地が消え、1924年(大正13年)頃までには、西側の一部を除いて区部からは姿が見えなくなったと記録されています。関東大震災や東京大空襲による火災では、区部の多くが焼け野原になったので、影響を受けたタヌキもいたことでしょう。
 
戦後しばらくは多くの人が地方に疎開していたこともあって、東京の人口は激減。食糧難のために都心にまで畑が作られ、空き地や原っぱも増えました。区部でも1950年(昭和25年)頃まではタヌキの捕獲記録があるのは、一時的に彼らに都合の良い生息環境が生まれたと考えられます。
 
やがて経済が復興し、東京へ人が集中し始めた高度経済成長期が訪れると、住宅地が郊外へと急速に拡大し、タヌキの生息環境を奪っていきました。前回の東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)頃になると、まだ緑の残っていた東京西部の武蔵野台地からも、かなりのスピードでタヌキが姿を消していったようです。

1979年の環境庁「自然環境保全基礎調査」図20 タヌキの全国分布メッシュ図の関東地方を抜粋。図中黄色部分:絶滅した地域、赤線:県境

1979年(昭和54年)に環境庁(現在の環境省)が行なった自然環境基礎調査の分布データからは、東京都のタヌキの深刻な状況がうかがえます。都心の23区内で確認されなかったのはもちろん、それ以前に絶滅したとされるエリアも、かなり西の郊外から丘陵地にまで広がっていたのです。
 
2002年(平成14年)の同省による生物多様性調査でも「一般にタヌキは都市近郊で目撃される頻度が高まっているが、これは宅地開発などによる生息地の縮小によると考えられる。(中略)タヌキのこれまでの分布情報との大きな違いがないと考えられる。」と分析されています。冒頭で述べたアニメ映画が公開されたのは1994(平成6)年。まさに東京のタヌキにとっては、どん底の時代と考えられていました。

1990年代から都心へ進出?

ところが実際には、タヌキは密かに都心への反転攻勢に出ていたようです。1990年代前半から一般には立入れない宮内庁・赤坂御用地(港区)で姿が見られ始め、2000年前後から皇居や新宿御苑でも確認されるようになりました。このエリアには、明治神宮、新宿御苑、青山霊園、赤坂御用地、皇居など、大規模な緑地が隣接し移動するのも容易です。
また同じ頃に、都内でも緑が豊かな住宅や公園が点在し農家も残る世田谷区の市街地で見つかったものは、テレビの自然番組でも紹介され、「東京のタヌキ」は一躍注目を浴びるようになりました。

夏毛のタヌキ(撮影:佐久間 聡)

「まさか都会にタヌキなんかいないだろう」という先入観があったのは、タヌキが夜行性で林床などの物陰を好み、人目につきにくい生き物であるためかもしれません。とくに夏毛の時期はスリムになるので、夜道で出会ってイヌと誤認する可能性もあります。しかし報道をきっかけに、「タヌキが近所にもいるかもしれない」という意識で身の回りの環境への関心が高まり、集まる情報も充実してきました。タヌキが注目されるのは、都市の自然を考える上での、重要な第一歩と言っても大げさではないでしょう。

東京のタヌキはどんな暮らしをしている?

それでは東京のタヌキは、実際にどんな環境でどんな暮らしをしているのでしょうか。都内でよく遭遇するエリアの一つが、神田川北側です。東京23区の地形は、西部の台地にある「山の手」と東部の低地にある「下町」に大きく分けられます。標高差は場所によって20m以上もあり、その多くが急な斜面。道が横切る部分は坂になっていて、昔から「山の手の地名は坂で覚えろ」とも言われたほどです。

神田川崖線沿いの椿山荘(旧久留里藩黒田家の下屋敷)

学習院大学から西の崖線樹林

神田川の北岸も急傾斜の崖線が続いて家を建てるのが難しかったり、昔の大名屋敷跡の公園や大学のキャンパスが隣り合っていて、比較的まとまった緑地が残されてきました。なかには立ち入りに制限がある場所も少なくありません。タヌキが棲みついたり行き来するには絶好の環境です。雑食性なので、住宅地の庭のカキや街路樹のギンナン、溜まった落ち葉の中にいるミミズや昆虫、住宅近くに棲むネズミや緑地のセミ、収集前の生ゴミまで、エサには事欠かないと考えられます。増えている廃屋の床下や斜面に掘った巣穴で繁殖もしているようです。

帯状にのびる緑地はタヌキの移動ルート

フェンスの影の獣道

実際にこのエリアでは、お寺の庭先で子ダヌキがじゃれあっていたり、校舎の陰にためフンがあったりと、複数のタヌキが定住している証拠が見つかっています。広い庭園をもつ宴会施設には「静かに見守ってください」という看板が立ったほど。

学習院大学キャンパスのタヌキ(撮影:学習院大学生物部)

都内に現れて話題になるタヌキの多くも、すでにこうした環境に棲みついているものが、エサを求めたり分布を拡げるなど、何らかの理由で人前に出てきた個体でしょう。開発された郊外の山から逃げてきたわけではないのです。

これからもタヌキと共存できるか?

しかし将来の東京が、人間とタヌキが共存できる場になるとは言い切れないでしょう。緑は豊かになっていますが、その面積は限られているものが多く、道路や市街地によって分断されています。オリンピックを契機に進む再開発では、傾斜地を切り崩してマンションなどを建てる工事も各地で進行中。狭い環境で増えたタヌキが、新たな生息地を求めて移動する際に、交通事故にあって死んだりケガをした例も少なくありません。

マンション建設のため切り崩される崖線

また、ペットのイヌやネコと共通する感染症にかかる危険性もあります。ヒゼンダニによる伝染性の強い疥癬症のために全身の毛が抜け、種類も判別できないようになった姿のタヌキも頻繁に見つかっています。過去にはこの病気のために、地域からタヌキが全くいなくなってしまった例もありました。
 
さらに、タヌキの存在を知った近所の住人が、ペットのように餌付けをしているという話もよく聞かれます。これには様々な問題があり、人間が与える食物に依存して栄養が偏る、本来ある地域のエサでは支えきれないほど個体数が増える、おこぼれに預かる野良ネコが増え多くの野鳥や小動物が捕食されるなど、都市に残された生態系に及ぼす影響も小さくないと考えられます。
 
都市に復帰して来た野生動物に対して、どのような距離を保って接したら良いのか。タヌキが問いかけているのは、自然と人間の共生という大きなテーマなのではないでしょうか。

Author Profile

川上 洋一

東京都新宿出身。生物多様性デザイナー&ライター。トウキョウサンショウウオ研究会事務局。東京都西部の里山での生物調査・保全活動に取り組むとともに、江戸から東京への自然環境や生物相の変化について、著述やテレビ番組、講演などで紹介。「工房うむき」として生物をモチーフにした陶器や手ぬぐいをデザイン。著書に「東京いきもの散歩~江戸から受け継ぐ自然を探しに~」(早川書房)など多数。 

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