第1回 冠島 〜オオミズナギドリと島の森〜
生態系の基礎をつくるのは、植物。
その植物を軸に自然のしくみを研究するのが「植生学」。
この連載では、そんな植生学の研究者たちが「ぜひみんなに紹介したい!」と厳選した、日本の特徴ある自然スポット12か所を紹介します。100年後にも残したい、植生学者の「愛しい生態系」ってどんなものでしょうか。
第1回は、前迫ゆりさん(植生学会 副会長)が紹介する京都府の冠島。
国の天然記念物である冠島は、100年以上前から、魚をはぐくむ「魚付林」として大切にされてきた無人島です。海が荒れたときには漁師たちの避難所に、島で子育てするオオミズナギドリの群れは魚がいる場所の目印になってきました。海と鳥と人をつないできたこの島の、森の動きを紹介します。
※本文の末尾にときどき出て来る①②……などの数字は、その部分で紹介している内容の根拠になった情報を収録している資料(文献)の番号です。記事の最後に引用文献のリストがついています。そのテーマについてもっと詳しく知りたい方は、引用文献も読んでみて下さい。
※本記事は『愛しの生態系 研究者とまもる「陸の豊かさ」』からの抜粋記事です。
「雄島まいり」の漁船は冠島へ。大木のタブノキ、スダジイ、モチノキが骨格をなす照葉樹の森が近づいてくる
舞鶴湾に浮かぶ冠島には、春になると、数万羽のオオミズナギドリが繁殖のために東南アジアから渡ってきます。
5月、島の海岸にアサギマダラが舞い、丸い石が多い浜にハマヒルガオやハマダイコン、ハマエンドウの花々が咲くころ、オオミズナギドリは、海岸特有の植物群落の後方から山頂まで広がる照葉樹林にコロニーをつくって営巣します。
飛び立ちの下手なオオミズナギドリは、大騒ぎしながら高いところに登り、夜明けとともに海に飛び出して行きます
老人嶋神社と背後の照葉樹林。海岸に面した林緑部にはトベラやエノキが生育し、鳥居をくぐるとタブノキの大径木が山頂まで続いています
照葉樹林は、直径1メートルほどもある大径木のタブノキ、スダジイ、モチノキなどが主体の森林です。オオミズナギドリは、水かきのついた足で森の地面の20〜30センチほど下に、長さ約1メートルの横穴を掘り、巣をつくります。森林調査をしながら巣を踏み抜かないように歩くのはたいへんでしたが、巨木が立ち並び、さまざまな野鳥の中継点であるこの森に、私は心をつかまれました。
日が沈むと、オオミズナギドリは海から戻ってきます。海上では見事に翼を操って魚を捕るかれらは、陸では不器用。けたたましい鳴き声をあげながら林床を歩き回り、木の上から降ってきたりもします。夕食を食べている私の膝にころげ落ちてきたこともありました。昼間は森林調査をし、夜になると京都大学野生生物研究会や山階鳥類研究所のメンバーの標識調査を手伝いながら、夜明け前に海に飛び立つオオミズナギドリの行動を観察するのは、調査の楽しみの一つでした。
標高3メートル、つまり海岸近くのタブノキ林は土の中に石が多く、オオミズナギドリは穴が掘れないので、コロニーはほとんどありません。そこは、タブノキと一緒に、マルバグミ、ヤブツバキ、シロダモ、モチノキ、アオキ、キノクニスゲ、テイカカズラ、ムサシアブミなどが生育する、多様性の高い森です(引用文献①、②)。
ところがコロニーがある森林は、ようすが全く異なります。歩き回る鳥と巣穴掘りが、森に大きな影響を与えていました。林内の平均巣穴密度は100平方メートルあたり45,9 ± 20,4個と高く、森の地面は穴だらけ。雨が降れば土が流されてしまい、植物も定着できません。そのため、植物の種数は少なく、地面が露出している部分も多くありました。モチノキやタブノキなどは、倒れないように根茎を発達させる生存戦略を発揮し、「根上がり」という独特の形になっていました。
「根上がり」になったモチノキ
また、この地域の極相林であるはずのタブノキ群落が、遷移初期の群落であるアカメガシワ群落に変わっている森もありました(「遷移の後退」といいます)。タブノキの新しい世代を担う実生(芽生え)も見あたりません。さらに、窒素を多く含む鳥の糞の影響で、窒素を好むヨウシュヤマゴボウが繁茂する場合もあります(①、④)。
こうした森の変化が、本当にオオミズナギドリの影響なのかを調べるために、鳥が営巣できないよう保護した実験区と保護しない対照区を設定し、2年間継続調査して比較しました。その結果、オオミズナギドリの影響で、実生の定着が妨げられることが確認できました(④、⑤、⑥、⑦)。
にもかかわらず、森の構造をみると、タブノキは「小さい個体が多く、大きくなるにつれて個体数が減っていく」という、安定した健全な状態を保っていました。鳥の強い影響の下、なぜタブノキの森は維持されているのでしょう。
森をさらによく観察すると、タブノキの芽生えがたくさん集まった「実生だまり」が見つかりました! キノクニスゲという草本の株元や倒れた木のまわりなど、土壌が流れにくい場所で、芽生えがしっかり成長していたのです。寿命の長いタブノキには、数十〜百数十年に一度のチャンスを活かすしくみがあればよく、照葉樹林は全体としては衰退せずに維持されてきたと考えられます。
巣穴がたくさん掘られたアカメガシワ林の林床。樹木はタブノキからアカメガシワに置き換わっています。キノクニスゲの株とヨウシュヤマゴボウがコロニーの間に生育しています
オオミズナギドリは、この巣穴にすっぽりもぐって子育てします
毎年6月1日、舞鶴湾に面した野原、小橋、三浜の三集落の漁師たちが冠島の老人嶋神社に参詣する「雄島まいり」という祭事が行われます。
その日、大漁旗を掲げた船に乗った漁師たちが、太鼓や笛を鳴らしながら冠島に集います。船に手を振る集落の人々の姿から、雄島まいりが地域に根づいているようすが伝わってきます。
直会では地元の食材を使った料理が振る舞われます
祭の日、老人嶋神社には御神酒や魚が供えられます。社殿の狛犬にも、トビウオのお供えが
島は、海が荒れたときには漁師の避難場所になり、照葉樹林がもたらす栄養分は魚類を育みます。オオミズナギドリも、魚群を知らせる鳥として親しまれてきました。
冠島は、日本海側最大のオオミズナギドリ繁殖地として、1924年に国の天然記念物に指定されています。さらに前の1902年には、魚つき保安林に指定されています。先人たちは100年も前から、島の森が海にとって重要な役割を果たすことを知っていたのでしょう。
神事の後、海岸ではが行われます。この海でとれたカメノテの味噌汁や魚介類はことのほかおいしく、島の森と海と人のつながりを実感できます。海と陸をつなぐ海鳥、森と海と人をつなぐ海洋文化がこの島に息づいています。人が自然に親しみ、大切につないできた地域に根ざした文化は、自然の豊かさ、すなわち生物多様性を支える重要な要因といえるでしょう。
引用文献
オオミズナギドリと島の森
①前迫ゆり. 1985. オオミズナギドリの影響下における冠島のタブノキ林の群落構造. 日本生態学会誌, 35: 387–400.
②Maesako, Y. 1991. Effect of streaked shearwater Calonectris leucomelas on species composition of Persea thunbergii forest on Kanmurijima island, Kyoto prefecture, Japan. Ecological research, 6: 371–378.
③前迫ゆり 1995.京都府冠島の照葉樹林における根上り樹木. 関西自然保護機構会報, 17: 19–28.
④前迫ゆり 2005.土中営巣性海鳥オオミズナギドリと植生との関係. 植生情報, 9: 48–55.
⑤ Maesako, Y. 1999a. Impacts of streaked shearwater (Calonectris leucomelas) on tree seedling regeneration in a warm-temperate evergreen forest on Kanmurijima Island, Japan. Plant Ecology, 145: 183–190.
⑥前迫ゆり 2003.オオミズナギドリ繁殖地におけるタブノキの実生生長と照葉樹林の保全.野生生物保護学会誌, 8: 11–17.
⑦前迫ゆり 2002. 土中営巣性海鳥生息地におけるタブノキ実生の初期生長. 植生学会誌, 19: 33–41.
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愛しの生態系 研究者とまもる「陸の豊かさ」
SDGsの目標15は「陸の豊かさを守ろう」。
「陸の豊かさ」ってなんだろう?
日本各地で自然の動きを見守ってきた研究者が厳選した、
100年先に残したい30の生態系をめぐりながら、 一緒に考えよう!
訪れるのは…… 世界自然遺産の奄美や屋久島、身近な雑木林、富士山の森林限界などなど。
研究者が悩みに悩んで選んだ愛しい生態系たちです。
植生学会 編 / 前迫ゆり 責任編集 / A5判 / 240ページ
Author Profile
前迫 ゆり(まえさこ ゆり)
大阪産業大学大学院 教授(執筆時) 所属学会 植生学会(副会長)、社叢学会(副会長)
日本生態学会 大学3回生の八甲田山実習で見た常緑針葉樹の風衝樹形、雪圧で桿が曲がったネマガリダケは、環境と植物の関係をダイレクトに感じた瞬間でした。以来、フィールド研究への興味は尽きませんが、2022年の夏は樹上作業の専門家「空師」といっしょに樹上20メートルでラン科植物の調査を行いました。樹上から見る照葉樹林の姿は格別でした。
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