第3回 野焼きで守る元祖原生花園 〜小清水原生花園(北海道)〜
この連載では、植生学の研究者たちが「ぜひみんなに紹介したい!」と厳選した、日本の特徴ある自然スポット12か所を紹介します。100年後にも残したい、植生学者の「愛しい生態系」ってどんなものでしょうか。
第3回は、津田 智さんが紹介する北海道の小清水原生花園です。
「原生花園」というと、人の手が入らなくても、自然のままに花々が咲き乱れるところのように思えます。でも、一番最初に「原生花園」と呼ばれたとされる小清水原生花園は、じつは人手が加わるまでは、砂丘のような環境だったのだそうです。いったいどういうことでしょう? 火を操る生態学者が紹介します。
※本記事は『愛しの生態系 研究者とまもる「陸の豊かさ」』からの抜粋記事です。
小清水原生花園は海岸砂丘とその後背湿地によって構成されていて、そのうち砂丘上の景観はエゾスカシユリ、ハマナス、エゾキスゲなどの色彩豊かな花々からなっています
人が手入れをしているわけではないのに、花々が咲き乱れる景観を「原生花園」とよぶことがあります。このことばが初めて使われたのが、私が調査している北海道斜里郡の小清水海岸です。ある旅行雑誌がこの海岸を紹介したときに使ったのが最初だと聞いています。
今ではいろいろな場所が原生花園とよばれるようになり、北海道だけでも、小清水原生花園のほか、サロベツ原生花園、ベニヤ原生花園、ワッカ原生花園、北方原生花園、原生花園あやめヶ原、豊北原生花園などが、北海道外でも世界谷地原生花園(福島県)や斑尾高原原生花園(新潟県)などが知られています。原生花園は花いっぱいの湿原を指していることが多いのですが、元祖原生花園の小清水海岸は湿原よりも砂丘の景観がメインでした。
天覧ヶ丘からの眺望。エゾスカシユリの先には斜里岳が望めます
小清水原生花園は、オホーツク海と濤沸湖に挟まれた長さ約7キロ、幅300〜700メートルの細長い砂州上にあります。オホーツク海側は主に2列の砂丘、その後背地は湿地が濤沸湖まで続いています。濤沸湖はオホーツク海の入り江が砂州によって数千年をかけて塞がれてできた海跡湖です。
人の影響がほとんどなかった時代には、ここには文字通り原生的な砂丘と湿地の植生が広がっていたことでしょう。オホーツク文化やアイヌ文化の時代も人の干渉は小さかったと考えられますが、明治時代に入って日本人の入植が始まると、ただの原っぱが広がっているだけの土地ですから、道路や鉄道の敷設をはじめ、牛馬の放牧地として利用されるようになりました。砂丘側では定置網の引き上げのための馬が放牧されていたことがありますし、肉牛の放牧が行われていたこともありました。時期ははっきりしませんが、こうした放牧利用によって、外来の牧草類の種子が持ち込まれたと考えられています。
小清水原生花園は、1951年に北海道の名勝、1958年に網走国定公園に指定され、そのころから牛馬の放牧は減りました。しかし、依然として蒸気機関車が野火を発生させていて、牧草の繁茂を抑え込んでいたようです。1975年以降は牛馬による被食もなく、野火を起こす蒸気機関車も廃止され、牧草類の繁茂が次第に顕著になっていきました。放牧は外来牧草の侵入をもたらしましたが、一方で野火も合わせて牧草の繁茂を抑制する効果もあったようです。
野焼きが事業化される直前の原生花園景観。花の最盛期でもカラフルな花々はみられません
放牧や野火の効果が失われた1980年代には「原生花園なのに花なんか全然ない」と観光客にいわれるほどになっていました。何とか花咲く原生花園を取り戻そうと、北海道大学の教授だった辻井達一先生のグループが1990年から3年間にわたり小面積の実験火入れを実施して、その後の植生の変化などを調査しました。私も、そのメンバーの一人でした。
その結果を北海道網走支庁(現オホーツク総合振興局)や小清水町役場に報告し、1992年からは野焼きが事業化されました。事業化された後も、野焼きの影響について明らかにするため、私はずっと原生花園で調査研究を続けてきました。現在は野焼きによって牧草類のコントロールに成功し、結果として往時の花々が咲き誇る原生花園を取り戻しています。その後2001年に北海道遺産、2022年には未来に残したい草原の里100選にも選定されています。
野焼き前後の1平方メートルあたりの植物個体密度
毎年ゴールデンウィーク明けに実施される野焼き。通勤通学の妨げにならないように一番列車よりも前に火入れを実施します(撮影 増井太樹)
原生花園を走る釧網本線の気動車とエゾキスゲ
小清水原生花園を代表する花は、エゾスカシユリ、エゾキスゲ、ハマナス、ヒオウギアヤメ、ノハナショウブなどですが、それ以外の植物も数多くみられ、外来種も含めれば現時点で250種類ほどの植物が確認されています。調査が進めばもう少し多くなるでしょう。
これらのなかには絶滅危惧種も含まれていて、環境省と北海道のレッドリストに共通に掲載されているものだけでも、エゾヒメアマナ、アッケシソウ、エゾハコベ、フタマタイチゲ、ムシャリンドウの5種あり、どちらか一方のリストだけに掲載されているものもホソバノシバナ、クロユリ、ノダイオウ、ムラサキベンケイソウなど15種が確認されています。
一方、外来種も非常に多く、ケンタッキーブルーグラス(ナガハグサ)、チモシー(オオアワガエリ)、レッドフェスク(オオウシノケグサ)などの外来牧草のほか、シロバナシナガワハギ、アラゲハンゴンソウ、アメリカオニアザミなど、50種ほどが確認されています。
小清水原生花園に生育する植物は、生育環境に応じてはっきりとすみわけているものがほとんどです。
濤沸湖側の湿地には全体にヨシが多く、ヨシ群落の様相ですが、一部にはヤラメスゲなどスゲ類の優占する群落があり、濤沸湖岸の近くには、小面積ですがアッケシソウ、シバナ、ウミミドリなど塩生湿地の植物もみられます。ノハナショウブ、ヒオウギアヤメ、ナガボノシロワレモコウ、コバギボウシ、サワギキョウなども湿地全体にわたり比較的多くみられます。
砂丘側は、外来牧草類を除けば、ハマニンニク、ハマナス、ヤマアワなどの群落が広い面積を占めていますが、部分的にはエゾノコリンゴを中心とする低木林になっていたりします。
ハマナスの花期は長く、7〜9月ころ
派手で目立つのは夏季に咲く花、エゾスカシユリ、エゾキスゲ、ハマナスなどです。このうちエゾキスゲは、全国の植物を調査されている矢原徹一先生によれば、北海道最大規模の群落ではないかとのことです。
早春にはキタミフクジュソウやエゾエンゴサク、初夏にはクロユリやスズラン、盛夏にはエゾフウロやエゾカワラナデシコ、晩夏にはエゾノキツネアザミやムラサキベンケイソウがよくみられます。
外来種の多くは国道244号線の路傍や、かつて漁業で使われた番屋跡地に広がっています。
第1砂丘の前面はオホーツク海に面した砂浜になっていて、ハマニガナ、ハマボウフウ、コウボウムギ、シロヨモギ、オカヒジキなどの植物からなる海浜の植生も観察できます。天覧ヶ丘にはJR釧網本線の原生花園駅があり、そこから散策路を通ってオホーツク海まで出ることができます。
海岸の最前線にはハマニガナやシロヨモギがみられる
湿地側に咲くノハナショウブ
今後も野焼きを軸にした適切な植生管理を続けていけば、美しい景観と貴重な生態系、多様な生物を守っていくことができると思います。逆に、管理をやめてしまえば再び牧草類のはびこる異質な生態系に戻ってしまうことでしょう。今後も研究者と行政が連携して小清水原生花園を守っていきたいと思います。
参考:野焼き前後の1平方メートルあたりの植物個体密度
調査方法:春に野焼きをした場所、していない場所、野焼き後2シーズン目の場所に1メートル四方の調査区をつくり、区内の全植物の個体数を調べた。このとき、地下茎や根から再生した個体(栄養繁殖個体)と種子から新たに生まれた個体(種子繁殖個体)を区別して数えた。
調査結果:野焼きしていない場所:種子繁殖個体はわずかで、ほとんどが栄養繁殖個体。ナガハグサ、オオウシノケグサ、オオアワガエリなどの外来牧草類がほとんどを占めた。
野焼きした場所:栄養繁殖で再生した外来牧草類は3分の2ほどに減少。一方、在来植物は1.5倍に増加。種子繁殖個体は8倍に増加。
以上の結果から、野焼きには外来牧草を減らし、在来種を増加させる効果があるといえる。
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愛しの生態系 研究者とまもる「陸の豊かさ」
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日本各地で自然の動きを見守ってきた研究者が厳選した、
100年先に残したい30の生態系をめぐりながら、 一緒に考えよう!
訪れるのは…… 世界自然遺産の奄美や屋久島、身近な雑木林、富士山の森林限界などなど。
研究者が悩みに悩んで選んだ愛しい生態系たちです。
植生学会 編 / 前迫ゆり 責任編集 / A5判 / 240ページ
Author Profile
津田 智(つだ さとし)
元岐阜大学/International Association of Wildland Fire、日本生態学会、日本植物学会
大学2年生の時から火生態学に興味を持ち、秩父の火事跡再生林で卒業研究を行った。大学院では宮城県の山火事跡地で初期植生を調べ、再生には埋土種子が重要との仮説をたて、調査地を全国の火事跡に拡大した。火生態学的興味は、焼畑、草原火入れの研究にもおよび、火を使った自然再生事業などに参加・協力している。
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