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7/11 2023

愛しの生態系 100年後に残したい日本の自然

第4回 続かないはずの放牧が300年以上続いた草地の謎 〜宮崎県 都井岬〜

この連載では、植生学の研究者たちが「ぜひみんなに紹介したい!」と厳選した、日本の特徴ある自然スポット12か所を紹介します。100年後にも残したい、植生学者の「愛しい生態系」ってどんなものでしょうか。
 
第4回は、西脇 亜也さんが紹介する宮崎県の都井岬です。
宮崎県の都井岬には、国の天然記念物である日本在来の「岬馬」が放牧されています。江戸時代から、秋月藩の軍馬が育てられてきた放牧地が、今も続いているのです。ここでは、馬だけでなく、馬の住む芝地にも目を向けてほしいのです。じつは、芝地を維持するのはとてもたいへんなこと。それが、肥料も与えず、新たに種もまかず、300年以上も保たれてきたなんて!
その理由の解明にチャレンジし、この芝地の今後について考えてみます。
 
※本文の末尾にときどき出て来る①②……などの数字は、その部分で紹介している内容の根拠になった情報を収録している資料(文献)の番号です。記事の最後に引用文献のリストがついています。そのテーマについてもっと詳しく知りたい方は、引用文献も読んでみて下さい。
※本記事は『愛しの生態系 研究者とまもる「陸の豊かさ」』からの抜粋記事です。

都井岬のシバ型草原における日本在来の岬馬放牧(2020年8月2日)

都井岬の芝地

月に一度、宮崎大学から車で約2時間、日南海岸沿いを南下して宮崎県最南端の都井岬の芝地(シバ型草原)の調査に出かけています。ここにある御崎牧場では、1697年に高鍋藩秋月家の軍馬が育成されてから現在まで、300年以上の長い間、日本在来馬の放牧が行われてきました。この馬は岬馬とよばれ、昭和28年には「岬馬及びその繁殖地」として生息地とともに国の天然記念物に指定されました。生息地は、シバ型草原と照葉樹林、スギの植林地からなります。ここは「シバが優占するシバ型草原の南限地」で、それが天然記念物に指定された理由の一つになっています。
 
現在は約110頭の岬馬が一年中、ほとんど野生状態でくらしています。地元の牧組合の方々が毎日岬馬を観察されていて、ほとんどの馬には戸籍(馬籍)の記録があり、系図を40年以上前までたどることができます(最近ではDNA解析による父性系統も推定されています)。これは世界的にみてもたいへん貴重で、日本の誇るべき財産の一つでしょう。
 
私のお目あては岬馬そのものではなくて、岬馬に食べられたり蹄で踏まれたりする芝地の草です。一見するとどこにでもありそうな芝地ですが、数十年あるいは数百年もの長い間、種子や肥料が播かれなくても安定した芝地が維持されてきたことは、私にとっては不思議です。人がつくった芝地は長い年月安定的に維持できないことが多く、何年かに一度は再びつくり直すのがふつうです。なのに、都井岬の芝地はそうではなさそうです。

都井岬の2019.1.7 撮影Sentinel2衛星画像(左:オルソ、右:NDVI) オルソは、衛星画像の傾きなどを補正して真上から見たように補正したもの。NDVIは、地表からの光の反射をもとに植生の活性度を色で示した画像。活性度の高いところは緑、低いところは赤で示される。

草の生産量を測る

馬の採食を防ぐケージを使った移動ケージ法によって、草の月あたりの被食量と再生量を測定してみました。被食量も再生量も、月間でとても大きく変動したのですが、場所間や年次間での変動は小さく、とても安定していることが明らかになりました①。また、冬になって草の再生量が減少すると、馬たちは芝地の周辺に広がっている森林の林床の常緑樹などを食べていることが観察されました。約50ヘクタールの芝地と約500ヘクタールの森林で、馬の食料が安定的に維持されていることが、100頭以上の岬馬の放牧が持続可能となっている理由の一つだと思います。

移動ケージ法による草の被食量、再生量の測定

都井岬の岬馬放牧地の草の再生量の変動(①に加筆修正)

蹄の下の闘い

芝地を観察していて、気になることがほかにも出てきました。それは、本来、都井岬の芝地には日本在来の芝草であるシバが多かったのですが、最近外国産の芝草が多い場所が増えてきたことです。この外国産の芝草は暖地型牧草とよばれる種類のもので、比較的高い気温だと元気が良い性質を持っています。地球温暖化の進行とともに勢力を増しているのかもしれません。都井岬のシバは、シバの分布南限域にあることなどから貴重であると考えられていますが、地球温暖化によって気候が暖かくなるにつれて、シバは次第に駆逐されていくかもしれません。この蹄の下の闘いの決着はどうなるのでしょうか?

小松ヶ丘におけるカーペットグラスの侵入

扇山における岬馬放牧とオキナグサ(2022年4月6日)

調べてみると、外来牧草に侵略される芝地(小松ヶ丘)と、侵略されない芝地(扇山)があることがわかってきました②③。扇山では、草の種多様性が高く、オキナグサなどの絶滅危惧種も多く確認できました。
 
このような違いが生じる理由を知ることは、「外来牧草が侵略的外来種になる条件は何か?」を知って外来牧草を適切に管理するうえで重要であると私は思いました。そこで、数年間、禁牧処理等の野外実験を行った結果、禁牧区では種多様性が増加して外来牧草が消失したことが明らかとなり、高い放牧圧が外来牧草の侵略を導くと考えました。
 
そこで、さまざまな模擬放牧処理を加えたポット栽培による競争実験を実施しました。芝地に生えている植物を鉢に移植し、それに放牧を模した処理(馬がいて草を食べている状況を再現するため、草をむしったり踏みつけたりなどしました)を加えて在来植物と外来植物のようすを観察することにしたのです。馬がたくさんいて草をたくさん食べる状況を模した処理、そうでない処理、処理を行う時期、馬による踏みつけの程度など、いろいろな条件を設定しました。その結果は予想外で、外来牧草は在来植物との競争に常に負ける結果となりました。この方法では、答えを得ることができなかったのです。
 
競争に弱い外来牧草が放牧草地を侵略できるのはなぜでしょうか? この謎を解くためには、従来の方法だけでは困難なようです。そこで今は、馬の採食だけでなく、馬糞の影響もコントロールする方法を開発して、調査を続けているところです(冒頭の写真)。

都井岬の岬馬放牧地におけるシバと外来牧草の被度%の変化(②に加筆修正)

都井岬の芝地の未来

芝地を観察していて、外来牧草などの外来植物が多い場所では、岬馬の馬糞が集中していることに気がつきました。そこで、馬糞を実験室に持ち帰り、土をつめた鉢の上に置いて水をやり続けたところ、芝地に生育する多くの植物が発芽してきました。これらの植物は、草食動物に食べられて種子の散布を行っていると考えられます④⑤。そのなかには、キンゴジカやカーペットグラス、バヒアグラスなどの外来植物も多く含まれていました。馬糞は、都井岬における外来植物の増加に大きく関係していることは間違いないと思います。
 
芝草は岬馬の重要な飼料なので、芝草の種類や量の変化は岬馬の頭数にも大きく影響するでしょう。岬馬が将来も元気に生息できる環境を考えるうえでも、岬馬と草との関係を見守って行きたいと思っています。

岬馬放牧の馬糞から発芽した植物(2017年12月7日)

引用文献
続かないはずの放牧が300年以上続いた草地の謎
①西脇亜也 2009. 都井岬のシバ型草地における現存量と被食量および再生量の8年間の変動. 日本草地学会誌(別), 55: 2.
②西脇亜也 2007. 都井岬草原に侵入した外来牧草の優占状況の8年間の推移について. 日本草地学会誌(別), 53: 16–17.
③西脇亜也・田島有貴 2011. 外来牧草が侵入・優占する草地と優占しない草地. 日本草地学会誌(別), 57: 8.
④西脇亜也 2016. 都井岬における外来植物の増加に及ぼす御崎馬の排糞による種子散布の影響. 宮崎の自然と環境, 1: 8–10.
⑤西脇亜也・桑畑成美 2018. ミサキウマの排糞による種子散布について.日本草地学会誌(別), 6: 19.
 

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訪れるのは…… 世界自然遺産の奄美や屋久島、身近な雑木林、富士山の森林限界などなど。研究者が悩みに悩んで選んだ愛しい生態系たちです。

植生学会 編 / 前迫ゆり 責任編集 / A5判 / 240ページ

Author Profile

西脇 亜也(にしわき あや)

宮崎大学農学部附属フィールド科学教育研究センター教授/日本草地学会、種生物学会、日本生態学会
信州大学の学部時代は高山帯や森林でも植生調査したが、最もハマったのは草原だった。斜面によって植生が異なる理由に興味を持ち、移植実験を行う。帯広畜産大の修士時代は、ススキ群落とササ群落の種多様性が異なる理由が知りたくて、遮光実験を行う。今は放牧制限実験を行い、草原の野外実験が好きな自分を自覚している。

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