第5回 阿蘇に広がる草原の植物のすみ場所をつくるさまざまな攪乱 〜大分県・熊本県 阿蘇〜
この連載では、植生学の研究者たちが「ぜひみんなに紹介したい!」と厳選した、日本の特徴ある自然スポット12か所を紹介します。100年後にも残したい、植生学者の「愛しい生態系」ってどんなものでしょうか。
第5回は、横川昌史さんと増井太樹さんが紹介する熊本県の阿蘇で
豊かな雨に恵まれる日本では、ふつうなら、草地は徐々に森林に変
※本文の末尾にときどき出て来る①②……などの数字は、その部分で紹介している内容の根拠になった情報を収録している資料(文献)の番号です。記事の最後に引用文献のリストがついています。そのテーマについてもっと詳しく知りたい方は、引用文献も読んでみて下さい。
※本記事は『愛しの生態系 研究者とまもる「陸の豊かさ」』からの抜粋記事です。
熊本県南阿蘇村吉田の吉田牧野の野焼きで維持される草原
日本は暖かくて雨が多い国なので、裸地を自然に任せておくと多くの場所では、まず草が生えて草原になり、次第に樹木が入り込んで森になります。しかし、人が火を入れたり、草を刈ったり、家畜を放したりすると、森にはならず、草原の状態で維持されます。自然の植生遷移を止める要因を「攪乱」といいますが、攪乱には自然発火による山火事、台風や地震による土砂崩れなどの自然現象によるもののほか、火入れや草刈り、放牧など人の手によるものも含まれます。このような人による攪乱によって維持される草原のことを半自然草原とよびます。昔は草原で採れる草が肥料や家畜の餌、屋根材などとして人の生活に欠かせないものだったので、人が積極的に半自然草原を維持してきました。
九州の中央部に位置する阿蘇では今も地元の人によって2.2万ヘクタールにも及ぶ広大な草原が維持されています。まだ寒い2月から3月ごろ、植物が芽吹きはじめる前に、阿蘇の各地で草原に火が放たれます。立ち枯れしたススキが火に焼かれ、草原は真っ黒になります。その後、暖かくなってくると、真っ黒な草原で植物が芽吹きはじめ、キスミレやサクラソウなどいろいろな花が草原を彩ります。こういった草原に火を入れる営みを阿蘇では「野焼き」とよんでいます。これは、草原を維持する大切な作業なのです。
春の訪れを告げる野焼き。現在は多くの野焼き支援ボランティアによって支えられている
野焼きの後、黒く焼け焦げたススキのなかに一斉に咲き始めたキスミレ
赤身が多くやわらかいヘルシーな肉質の「あか牛」が放牧される景色は、阿蘇ならでは
この野焼きの火と草原がどう関係するのか、植物の冬越しの視点から考えてみましょう。多くの樹木は枝先に冬芽をつけ、春になると冬芽が開いて新しい葉を出します。つまり、地上の芽で冬越しをします。一方、冬になると地上部が枯れてしまう草の多くは、死んでしまっているのではなく、地表や地中に芽をつけて冬越しします。
草原に火が放たれると、地上の温度は最大で800℃ぐらいになるといわれており(①)、地上で冬越しをする樹木は焼け死んでしまいます。一方、野焼きの場合、地表を火が通りすぎる時間は1~3分程度とごく短いため、地中までは熱が伝わらず、温度はほぼ上がりません(②)。そのため、地表や地中で冬越しの芽をつける草の多くが、焼け死ぬ可能性は低いのです。野焼きの後には、生き残った地中の草たちが一斉に芽吹くため、あっという間に緑の草原となります。古来から続く春の野焼きは、このような植物の特性を応用した、最も効率的に草原を維持する技術なのです。
阿蘇の土壌中の植物の微化石や木炭を調べた研究によると、過去1万年にわたって阿蘇の草原に火の影響があったそうです(③④)。この火の影響が自然の火事ではなく、人によるものだったのであれば、阿蘇の草原は、とても長い期間、人の手で維持されてきたことになります。
こうして人が長い時間をかけて維持してきた阿蘇の半自然草原にはさまざまな植物が生育しており、なかには日本では阿蘇にしか生育していない植物もあります(⑤)。これら阿蘇の半自然草原に咲く花たちには、盆花(お盆にお供えする花)として利用されるなど、人の生活や文化に深くかかわっているものもあります。私たちは、こういった半自然草原の植物たちがどのように生きているのか、また全国的に半自然草原が減っているなかで、こういった植物をどうやったら守れるのかということに興味を持って研究しています。その一例として、阿蘇の斜面崩壊という自然の攪乱と草原の植物の関係について紹介しましょう(⑥)。
盆花。かつて阿蘇ではお盆になると草原から採った花をお墓にお供えしていた。盆花採りは子どもの仕事だったらしい
阿蘇の草原をウロウロしていると、あちこちに斜面が崩れた跡が見つかります。阿蘇の草原では、こうした小さな斜面崩壊が日常的に起こっているようです。一方で、災害といえるような規模の大きな斜面崩壊が起こることもあります。よく知られているのは、1953年、1990年、2001年、2012年の豪雨や、2016年の地震による斜面崩壊です。このように、斜面崩壊はときおり大きな被害をもたらすのですが、私たちは草原を歩いていて、過去に斜面崩壊があったと思われる場所でさまざまな植物が花を咲かせているなという印象を持ちました。もしかしたら、斜面崩壊は草原の植物にとっては何かご利益があるのかもしれません。
そこで、2016年に阿蘇の草原で、同じ斜面のなかで異なる年代に斜面崩壊をした場所で植生を比較してみました。2012年に崩壊した場所(崩壊後4年)、1990年に崩壊した場所(崩壊後26年)、崩壊した痕跡が確認できない場所(崩壊なし)の植生を比較したところ(表)、崩壊後4年の場所はまだ十分に植生が回復しておらず、裸地になっている場所も多かったのですが、崩壊後26年経つとほぼ植物に覆われており、トダシバやヤマハギが多く生えていました。一方、崩壊していない場所は大きく育ったススキが大部分を占めていました。
斜面崩壊の指標種と出現頻度。崩壊後4年、崩壊後26年、崩壊していない草原にそれぞれ1メートル×1メートルの調査枠を30個ずつ置いて、出現した植物の名前と枠内を覆う割合を調べたところ、それぞれの崩壊年数に特徴的な植物(指標種)が存在することがわかりました。特に崩壊後26年の指標種は、草原に生きる植物が多く含まれていました
ここでとても興味深かったのが、オミナエシやユウスゲ、リンドウといった人が攪乱を与えてできた草原で特徴的にみられる植物が、特に崩壊後26年経った斜面に多く出てきたことです。こういった植物は、ススキが大きく育った場所では暗すぎてうまく生育できないのではないかと考えられます。つまり、斜面崩壊によってススキが大きく育った草原の植生がリセットされ、オミナエシやユウスゲ、リンドウといった草原特有の植物が生育しやすい環境ができたのではないかと推察します。
崩壊後26年目の指標種として抽出された植物たち。①リンドウ、②オミナエシ、③ユウスゲ
草原に生きる植物が、斜面崩壊をした場所で多く生育していたのは、とても面白い発見です。草原の斜面崩壊が小規模な場合など、人の生活に大きな影響がない場合は、崩壊地の補修や緑化などはせず、自然の植生回復に任せておくことで多様な植物の生育環境が維持されるのでしょう。こういった自然の攪乱も阿蘇の草原の植生のなりたちに大きく貢献していると考えられます。
斜面崩壊した調査地の草原植生の変化。①1990年の斜面崩壊後、5年経過した②1995年は、崩壊地はやや緑になっている。26年たった③2016年の写真では、周囲と変わらない程度の緑に覆われている
引用文献
阿蘇に広がる草原の植物のすみ場所をつくるさまざまな攪乱
①岩波悠紀 1972. 本邦草地における火入れ温度の測定 : 第5報 火入れ温度の総合考察(1). 日本草地学会誌 18: 135–143.
②岩波悠紀 1972. 本邦草地における火入れ温度の測定 : 第6報 火入れ温度の総合考察(2). 日本草地学会誌 18: 144–151.
③Kawano, T., Sasaki, N., Hayashi, T., Takahara, H. 2012. Grassland and fire history since the late-glacial in northern part of Aso Caldera, central Kyusyu, Japan, inferred from phytolith and charcoal records. Quaternary International, 254:18–27.
④Miyabuchi, Y., Sugiyama, S. & Nagaoka, Y. 2012. Vegetation and fire history during the last 30,000 years based on phytolith and macroscopic charcoal records in the eastern and western areas of Aso Volcano, Japan. Quaternary International, 254:28–35.
⑤南谷忠志 2015. 阿蘇地域における植物相の特徴. 分類, 15:1–10.
⑥増井太樹・横川昌史・高橋佳孝・津田 智 2018. 熊本県阿蘇地域における斜面崩壊後4年目および26年目の半自然草原植生. 日本緑化工学会誌, 44:352–359.
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訪れるのは…… 世界自然遺産の奄美や屋久島、身近な雑木林、富士山の森林限界などなど。研究者が悩みに悩んで選んだ愛しい生態系たちです。
植生学会 編 / 前迫ゆり 責任編集 / A5判 / 240ページ
Author Profile
横川 昌史(よこがわ まさし)
大阪市立自然史博物館 学芸員/日本生態学会、日本植物分類学会、西日本草原研究会
大学1回生の後期、生物学Ⅰという講義の担当教員から鈴鹿山脈のカヤ場の調査に誘われました。石灰岩の台地に登ってみるとカヤ場だった場所は遷移が進んでコナラ・ミズナラ林になっていました。そこで初めて毎木調査をして、種構成を体感して、植生に興味を持ちました。今から思えば初めての調査は草原に関わることでした。
Author Profile
増井 太樹(ますい たいき)
公益財団法人阿蘇グリーンストック 常務理事/植生学会、生態学会、緑化工学会
大学時代より草原の研究をはじめ、日本の草原をこよなく愛する熊本出身の30代。これまで関わった火入れは14か所60回以上。草原を後世に残すため、草原を使った価値創造・新しいワクワクを考えながら仕事をしています。
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