第7回 ため池の淡路島。文化的景観と生態系を残したい 〜兵庫県 淡路島〜
第7回は、澤田 佳宏さんが紹介する兵庫県淡路島のため池です。
農業用水を確保するために作られたため池。そこには多様な里地里山の生きものがくらしていますが、使われなくなったため池と、そこにすむ生物はどうなるのでしょうか? 調べてみると、ため池の放棄から水がなくなるまでには十年単位のタイムラグがあることがわかりました。
※本文の末尾にときどき出て来る①②……などの数字は、その部分で紹介している内容の根拠になった情報を収録している資料(文献)の番号です。記事の最後に引用文献のリストがついています。そのテーマについてもっと詳しく知りたい方は、引用文献も読んでみて下さい。
※本記事は『愛しの生態系 研究者とまもる「陸の豊かさ」』からの抜粋記事です。
淡路島はため池だらけの島だ。2017年時点の島内のため池の数は約2万3,000(①)。実に、国内のため池の10%以上が淡路島にある。
淡路島にこれほど多くのため池がつくられたのは、大きな河川がなく降水量も少ないため、農業用水を確保するのに不可欠だったからだ。また、島の北部には平野がほとんどないため、大きなため池を造ることができず、谷をせき止めてたくさんの小さな池(谷池:たにいけ)がつくられてきた。淡路島のため池の大半は、江戸時代か、それ以前につくられたものだという。
丘陵地や山地にたくさんの小さなため池が散在する景観は、淡路島の気候と地形と産業のもとで育まれた地域固有の文化的景観といえる。
小さな池から大きな池まで、農地に囲まれた池から樹林に囲まれた池まで、池の大きさや立地はさまざま
ため池は、里地里山の生きものにとっては貴重な止水域だ。天然の池沼が開発によってほとんどみられなくなった現在、ため池は止水性の水生生物にとって重要なハビタットとなっている。特に、ため池の上流側(流入側)は、池底の傾斜が堤体側よりも緩やかなので、幅広いエコトーンができ、多様な水生生物がくらしている。
ため池を主な生育の場とする植物には、絶滅危惧種や準絶滅危惧種に選定されたものも多い。例えば、淡路島のため池では、ミズニラモドキ、サンショウモ、コウホネ、ガガブタ、ミズオオバコ、イトトリゲモなどがときどき見つかる。このような絶滅危惧植物や希少植物は、小規模なため池や樹林に接するため池で見つかる傾向がある(②③)。こうした池は、平地の大規模な池に比べ、護岸整備などによる改変を受けにくく、良好な生息環境が保たれやすいためと考えられている。
ため池の生物:キイロコガシラミズムシのような体長5 mm前後の小さな水生昆虫には多くの種類があり、水生昆虫図鑑(⑤)とタモ網を持ってため池めぐりをするとワクワクがとまらない
ため池の絶滅危惧植物・準絶滅危惧植物の例
2010年ごろ、勤務校の実習林(淡路市)で、ノイバラとネザサの優占する開けた一画を見つけた。地形から、その場所は以前はため池だったと思われる。かつては水生生物の宝庫だったかもしれないその場所は、おそらく放棄された後に水がなくなり、ネザサやノイバラの群落へと遷移したのだろう。
水田の耕作放棄の状況は外からみてもすぐにわかるが、ため池が放棄されているかどうかは外観からはわかりにくい。いったいどのくらいの池が放棄されているのだろう。ため池が放棄されたら水草はどうなるのだろう。僕はにわかに放棄ため池のことが気になりだした。そこで、当時研究室に在籍していた田中洋次君とともにこの問題に取り組むこととした(③)。
まず、淡路市内の中山間、いわゆる山あいの3地域を調査範囲と定め、この範囲の2500分の1都市計画図(1999~2000年に測量)に示されたため池176個を調査対象池とした。当時、水を供給する田んぼの面積が0・5ヘクタール以下の小さなため池には行政への届け出の必要がなく、また、淡路市のため池の90%以上は、その小さなため池に該当していた。このため、県や市は大半のため池について、利用実態はもちろん、管理者が誰なのかも把握していなかった。そこで田中君はため池の周辺の農家を訪ね、ため池管理者を探すところから調査を始めた。
調査の結果、177個のため池のうち166個の管理者から話をうかがうことができ、その利用または放棄の実態が判明した。166個のため池のうち72個はすでに利用が停止して放棄されており、8個は渇水年にだけ利用する半放棄状態だった。つまり、全体の約48%は放棄または半放棄状態だった。
ため池の面積別に放棄割合をみると、100平方メートル未満の池では88%、100~1000平方メートルでは51%、1000平方メートル以上では14%で、小さな池ほど放棄されやすい傾向があった。また、立地別にみると、池周の40%以上で樹林に接する池は、池周の40%未満で樹林に接する池よりも放棄されやすいことがわかった。これらのことは、絶滅危惧種や希少植物の生育可能性の高いタイプの池ほど、放棄されやすいことを表している。
ため池が放棄されると、水生植物にはどういう影響があるだろう。当時、行政の農政部局の担当者からは、利用を停止したため池は、防災上の観点から、埋め立てたり堤を切ったりして、水が溜まらないようにするべきと聞いた。しかし、農家への聞き取り調査からは、多くの場合、水を張ったままため池を放置することがわかった。ため池の利用をやめたとき、農家が埋め立てや水抜きのような処置をする例は非常にまれだった。
放棄時に水を抜かなかったため池29個で水深を測り、放棄後の経過年数との関係を調べてみた。その結果、放棄後の年数が長いほど水深が小さい傾向があった。ため池の水深は徐々に浅くなり、おおむね十数年から数十年をかけてゼロになるらしい。
前述のように、多くのため池は水を張ったまま放棄される。このため、放棄後、ただちに水生植物がいなくなるわけではない。しかし、最終的には水がなくなることによって水生植物は絶えていく(③④)。ため池の放棄から水がなくなるまでには十年単位のタイムラグがある。このタイムラグは、保全のために与えられた猶予期間ともいえる。
2017年、豪雨災害の多発を受けて、「農業用ため池の管理及び保全に関する法律」が新しく制定された。この法律はため池の決壊による災害を防ぐことを目的としている。この法律により、全ての農業ため池は届け出制となった。放棄ため池は、防災の観点から、順次埋め立てなどにより廃止されるようになってきていて、今後は保全のための猶予期間が大幅に短くなる可能性がある。防災は社会にとって重要かつ必要なことだが、ため池の生物多様性保全も重要な課題だ。現在兵庫県では、防災と生物多様性保全を両立するため、各分野の専門家、ため池管理者、県の農林水産部の職員らが知恵を出し合い、その方向を探っている。
引用文献
①兵庫県淡路県民局洲本土地改良事務所(編)2017. 淡路ため池ものがたり. 兵庫県, 神戸.
②嶺田拓也・石田憲治 2006. 希少な沈水植物の保全における小規模なため池の役割. ランドスケープ研究, 69: 577–580.
③田中洋次・澤田佳宏・山本聡・藤原道郎・大藪崇司・梅原 徹 2011. 淡路島北部における放棄ため池の現状と水生植物保全上の課題. 農村計画学会誌, 30: 255–260.
④Toyama, F. & Akasaka, M. 2017. Water depletion drives plant succession in farm ponds and overrides a legacy of continuous anthropogenic disturbance. Applied Vegetation Science, 20: 549–557.
⑤中島 淳・林 成多・石田和男・北野 忠・吉富博之 2020. ネイチャーガイド 日本の水生昆虫. 文一総合出版, 東京.
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植生学会 編 / 前迫ゆり 責任編集 / A5判 / 240ページ
Author Profile
澤田 佳宏(さわだ よしひろ)
兵庫県立大学大学院 准教授、兵庫県立淡路景観園芸学校 主任景観園芸専門員/植生学会・日本生態学会・漂着物学会
環境アセスの仕事をしていて生態系の基盤ともいうべき「植生」に興味を持つ。半自然草原やため池など、農地周辺の植生と人のかかわりへの関心が高じ、自分でも農地や山林の管理をしてみたくなって淡路島の農村に移住した。推しの植生は、海岸砂丘のビロードテンツキ群落。限りなく裸地に近い、そのギリギリな感じがかっこいい。
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