第3回 はじめての味見
ウミウシ沼に人生をかけてハマった中野理枝さん(公益財団法人黒潮生物研究所 客員研究員・NPO法人全日本ウミウシ連絡協議会理事長)が、ウミウシの基礎知識を紹介する連載『ウミウシを食べてみた』。
第3回は、ウミウシの味について!
カラフルでむにゅっとしていそうな見た目のウミウシは、果たしてどんな味、そして食感なのか!?
(本記事は2025年1月18日発売予定の書籍『ウミウシを食べてみた』からの抜粋記事です)
文・写真:中野理枝
タテヒダイボウミウシ
文豪芥川龍之介は恋人の塚本文への手紙に「ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位、可愛い気がします」としたためています。愛する相手を食べたくなるのは、ヒトのもつ愛情表出方法のひとつなのかもしれません。私もウミウシを前にすると「さわってみたい」「匂いを嗅いでみたい」「食べてみたい」との衝動に突き動かされることがよくありますが、これは愛情表現というより科学的な好奇心だと思っています(自分では)。
はじめてウミウシの味見をしたのは1989年1月。ダイビング歴でいえば2年目、100本目あたりで、研究のケの字も頭に浮かんでいない頃でした。場所は沖縄ケラマ諸島の西浜というダイビングポイント。お正月があけてゲストが一斉に帰っていった後、出羽慎一くんと神田優くんと私の3人で潜りに出かけました。
出羽くんも神田くんもバイトとはいえダイビングガイド、かつ現役の大学生で、研究対象は魚類の生態。珍しい魚がいたり、魚が面白い行動をとっていたりすると、私の肩をたたいて注意を引いてから水中ノートなどに書いて説明してくれます。そんなふたりと一緒に潜っていて面白くないわけがありません。
何度目かにとんとん、と肩をたたかれて、「あっ今度は何だろう?」と期待しつつ振り返ると、果たして神田くんがそこにいました。私と目があった神田くんはレギュレーターを手に持ち口から外しました。「えっ? 何するの? まさかギュレーターリカバリー(※)のレッスン?」と怪訝に思いつつ目は神田くんの口もとに釘づけ。するとニヤッと笑った神田くんの口から、青色と黄色の突起のついた舌がペロッ。すぐに「タテヒダイボウミウシ!」とわかったものの、突然突き出た青色と黄色の舌にびっくりしてつい大笑いしてしまい、海水を飲んでむせまくりました。いついかなる時でも笑いをとってやろうという関西人のサービス精神は水中でも遺憾なく発揮されるもののようです。
それにしてもウミウシって、どんな味がするんだろう?
そこで次のダイビングの時、ウミウシの味見をしてみました。選んだのはコイボウミウシ。たまたま見つけて、かつ、素手でもつまみやすい大きさと硬さをしていたからです。
※レギュレーターリカバリー:水中で口からレギュレーターが外れた時に拾い上げてくわえ直すこと。
コイボウミウシ
コイボウミウシを口にいれた瞬間、苦いような酸っぱいような痛いようなまずさが舌を刺しました。あまりのまずさに思わず吐き出し、すぐにレギュレーターをくわえてみたものの、口いっぱいに広がった苦みとえぐさは消えません。そこでまたレギュレーターを外して海水でうがいしたのですが苦みとえぐさは薄まらず、さらに海水のしょっぱさが加わって「ぐふっ」「おええっ」。その後のダイビング中ずっと「まずい」しか考えることができなかったくらいまずく、エキジットして真水で口をゆすぐまで口の中に残っていたくらいしつこいまずさだった、といえば、どれくらいまずかったかイメージいただけるでしょうか。
この頃私は未だ知らなかったのですが、ウミウシは餌由来のまずい物質=防御物質を体に蓄積しています。最初にウミウシの防御物質の組成が明らかにされたのは、ハワイ産のタテヒダイボウミウシだそうです。タテヒダイボウミウシをつつき回すなどしていじめると独特な匂いの粘液を出しますが、この粘液の溶けた海水の入ったバケツに魚やエビを入れると短時間で死ぬことが報告されています。イボウミウシ類の多くが目立つ派手な体色をしており、かつ岩の隙間などに隠れもせずに岩の上に堂々といるのは、敵(魚など)に食われない自信があるからでしょう。ヤクザ屋さんが「オレはやばいぜ、オレに構うとケガするぜ」と言わんばかりに背中の紋々(入れ墨のこと)を見せつけているのと理屈は同じ。この「オレはやばいぜ」的な色を生物学では警告色といいます。かつ、彼らの体(皮膚)はウミウシとは思えないほど硬い。かじろうと思って易々とかじれる硬さではない。ヤクザ屋さんのたとえでいうと防弾チョッキ。そんな、見るからにやばそうなヤクザもといイボウミウシで笑いをとる神田くんも神田くんなら「どんな味かしら」と口に入れてみた私も私です。コイボウミウシは「好奇心にまかせてやばそうなものに安易に手を出してはいけない」との教訓をくれた、我が人生の師の一種です。
(見た目どおり危ない味をしていたウミウシですが、実はあの昭和天皇もウミウシを食していたり、美味しいウミウシ料理もあるんです!この話の続きは、2025年1月発売の『ウミウシを食べてみた』でお楽しみください!)
広告代理店に勤務する普通の会社員が、会社をやめてフリーランスライターとして独立、ついには沖縄に移住して大学院に進学した!人ひとりの人生をそこまで狂わせた、ウミウシとダイビングの面白さ・不思議さ・奥の深さに迫るウミウシ私エッセイ、ここに爆誕!
珍奇なウミウシたちのエピソードや基礎知識が満載で、ウミウシの入門書としてもおすすめです。
中野理枝 著 / 四六判 / 280ページ
ISBN 978-4-8299-7257-1
2025年1月18日発売
定価2,640円(本体2,400円+10%税)
各種書店、オンラインサイトで予約受付中!
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Author Profile
中野 理枝(なかの りえ)
1983年3月早稲田大学卒。1987年10月ダイビングのCカー ドを取得。1989年8月広告代理店を退職し、フリーランス ライターに。2007年4月琉球大学大学院 理工学研究科 博士 前期課程に進学。2013年3月同大学院博士後期課程修了。 博士(理学)。2025年現在、公益財団法人黒潮生物研究所 客員研究員・NPO法人全日本ウミウシ連絡協議会理事長。
● 論文などの研究業績や上梓した書籍などについては: https://rienakano.sakura.ne.jp/
● NPO 法人の活動については: https://ajoa.sakura.ne.jp/ http://www.ajoa.jp/
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