Vol.2<ナゲナワグモって知ってますか?>
マメイタイセキグモとそのナゲナワ網
そんな知られざるクモの巣の世界を、リレー形式で紹介する連載第2回。
今回は少し変わった狩りをするクモについて紹介しましょう。
マメイタイセキグモは、先のほうに1個から数個(写真のクモでは4個)の粘球(ねんきゅう)のついた1本の糸を使ってガを捕まえて食べます。これはナゲナワ網と呼ばれており、いろいろなものがあるクモの巣(網)のなかでも、とても風変わりなものの一つです。
ナゲナワ網は、アメリカにいるナゲナワグモ類で発見され、とても奇妙な網として世界的に有名になりましたが、日本に生息している2種のイセキグモ類、マメイタイセキグモとムツトゲイセキグモもナゲナワ網でガを捕まえています。
みなさんがよく知っているクモの巣(網)は、オニグモの仲間などがつくる円網(えんもう)だと思います。この網の横糸にはべたべたする粘球がついていて、これでムシを捕まえます。クモの網の糸はべたべたするというイメージが強いですが、粘球がついているのは横糸だけで、そのほかの糸には粘球はついていないので粘りつきません(前回参照)。
オニグモの網(クモの巣ハンドブックより)
ガはたくさんいて、食べられる身も多いので、夜に狩りをするクモにはとても魅力的な獲物です。しかし、ガの仲間は体の表面が鱗粉で覆われているので、クモの網にくっついても鱗粉だけを残して逃げてしまいます。どのようにしたらうまくガを捕まえることができるでしょうか。
ゲホウグモの網(クモの巣ハンドブックより)
ゲホウグモというクモの網は横糸の数がとても多く、たくさんの横糸でガの身体の表面の鱗粉をどんどんはぎ取ってしまうことでガを捕まえることができるようになっています。
ゲホウグモとはまったく違うやり方で、うまくガを捕まえることができるのが、トリノフンダマシ類やツキジグモ類、イセキグモ類です。トリノフンダマシ類の網はオニグモの円網と基本的に同じ構造なのですが、横糸の数がとても少ないのが特徴です。
少ない横糸ではガの体から鱗粉を奪い取ることがぜんぜんできなさそうですが、トリノフンダマシ類の網の構造や糸にはガを捕まえるのにとても役に立つ特徴が備わっています。
一つは横糸についている粘球がとても大きいことです。この大きな粘球にはさらに秘密があります。オニグモなどの粘球に比べてとてもさらさらしているので、ガの身体が粘球に触れたとき、毛細管現象で鱗粉の間にさっとしみ込んでいき、ガの地肌にべったりとくっつくことができるのです。
オニグモなどの粘球では、ガの身体の表面をおおっている鱗粉の間にしみ込んでいくことがなかなかできないので、ガは鱗粉だけを残して逃げることができます。しかし、鱗粉の間にさっとしみ込むトリノフンダマシ類の粘球ではそうはいきません。
オオトリノフンダマシの網(クモの巣ハンドブックより)
また、トリノフンダマシ類の網では横糸の一方が縦糸から簡単に外れるようになっています。ガが横糸にくっつくと、横糸の片方が縦糸から外れ、ガは1本の横糸に宙釣りになります(下図参照)。
この横糸は太くて丈夫なのでなかなか切れず、また、その横糸をくっつけているたて糸はとても柔軟でよく伸びるのです。横糸にくっついたガは逃げようとして激しく羽ばたいて暴れます。
しかし、丈夫な一本の糸で宙づりにされ、それが柔軟でよく伸びる縦糸にぶら下がっているので、暴れる力が吸収されてしまい、網を壊すことも逃げることもできません。これは、木の枝を折ってしまうような強い風に吹かれても、柔軟なヤナギの枝は折れないということに似ています。
トリノフンダマシ類の網。ガがかかると,横糸の片方がすぐに外れるようになっていて(赤矢印の部分),ガは1本の糸で宙づりにされます(イラスト:鈴木佑弥)
トリノフンダマシ類と同じ仲間のツキジグモ類やイセキグモ類でも、糸や粘球には同じような特徴が見られるのですが、網の形はずいぶん違っています。
ツキジグモ類では縦糸の数が3本だけになっており、全体として三角形の網になっています。さらにイセキグモ類では縦糸がまったくなくなり、1本から数本の横糸をまとめたナゲナワ状になっていますが、これがいちばん最初にご紹介したナゲナワ網です。
ムツトゲイセキグモのナゲナワ網(クモの巣ハンドブックより)
なぜ、たった1本の糸でガを捕まえることができるのでしょうか。これには重大な秘密があります。
ガのメスはフェロモンという匂い物質を発散して同じ種類のオスを引きつけていますが、ナゲナワグモ類はこのことを利用しているのです。研究の結果、アメリカのナゲナワグモはメスのガのフェロモンによく似た物質を身体から発散し、オスのガを引きつけていることが解明されました。
すなわち、クモは待っているだけで餌のガのほうから近寄ってくるわけです。
すぐ近くまでガが飛んでくると、クモはナゲナワ網をぐるぐると回転させ、ガの身体にぶつけてくっつけます。ガの身体にナゲナワがぶつかった瞬間、大きな粘球はガの鱗粉の間にさっとしみ込んで地肌にべったりとくっつきます。
この一撃で、もはやガは逃げることができません。クモがガのフェロモンを発散していることは、日本のイセキグモ類ではまだ証明されていませんが、おそらく同じ仕組みでガのオスを引き寄せているのではないかと思います。
ムツトゲイセキグモがナゲナワ網でガを捕まえる様子は「動物行動の映像データベース」で見ることができます。
ワクドツキジグモの三角網(クモの巣ハンドブックより)
実に巧妙なしくみでガを捕まえていますが、これらのクモにも弱点があります。すばやくしみこんでしっかりくっつくというすばらしい特徴を備えた粘球ですが、この威力を発揮するためには多量の水分を含んでいることが必要です。空気が乾燥しているとすぐに乾いて水分を失ってしまい、くっつくことができなくなります。
そのため、これらのクモは湿度が高い時でないと網をつくりません。湿度が低いときに網を作ってもすぐに乾いて使い物にならなくなってしまうからです。
このことがわかるまでは、トリノフンダマシ類は気まぐれなクモだと思われていました。オニグモなど多くの夜行性のクモでは、毎晩同じくらいの時刻に網をつくりますが、トリノフンダマシ類では日没後すぐに網をつくる日や夜遅くにつくる日など、いろいろな場合があったのです。
日が暮れると、だんだん気温が下がるとともに湿度は上がっていきますが、湿度の高い日にはすぐにトリノフンダマシ類が必要としている湿度になるのに対して、湿度の低い日にはなかなかその湿度になりません。トリノフンダマシたちが網をつくるのに必要な湿度になる時刻が日によって違うので、網を張る時刻も日によっていろいろになっていたのでした。
このような特徴がみられるトリノフンダマシ類、ツキジグモ類、イセキグモ類の網にはどのような進化の歴史があるのでしょうか。
トリノフンダマシ類の網は3種あり、縦糸がたくさんある丸い網、ツキジグモ類ではたて糸が3本だけの三角網、イセキグモ類では縦糸がなくなったナゲナワ網です。この形の違いを見ていると、丸い網から縦糸の数が減って三角の網になり、さらに縦糸がなくなってナゲナワ網になったという順に進化してきたように感じます。
さて、本当にそうなのでしょうか。遺伝子DNAの特徴を用いた研究からわかったのは、まったく別の歴史物語でした。もしも丸い網から三角網、そしてナゲナワ網という順に進化してきたとすると、三角網をつくるツキジグモ類とナゲナワ網をつくるイセキグモ類とがいちばん近縁なはずです。ところが遺伝子DNAによる研究結果は、三角網のツキジグモ類と丸い網のトリノフンダマシ類とのほうが近縁であることを示していたのです(下図参照)。
遺伝子DNAの研究から推定された系統関係。もしツキジグモ類の三角網からナゲナワ網が進化したならば、ツキジグモ類とナゲナワグモ類がもっとも近縁になるはずですが、そうはなっていません(イラスト:鈴木佑弥)
このことは、三角網は丸い網から縦糸が減ることによってできたという予想は正しくとも、ナゲナワ網は三角網から進化してきたのではなく、もっと昔、このクモたちの進化の歴史の最初のころに、丸い網から一気に縦糸をなくしてできたらしいということを示しています。
私たちは生物の進化はだんだん少しずつ順を追って起きるものだというふうに考えがちですが、実際の生物の進化はもっといろいろと予想外の筋道をたどっているようです。
さて、このようにとても興味深い特徴を持ったトリノフンダマシ類やツキジグモ類、イセキグモ類を、皆さんにもぜひ観察していただきたいところですが、実際に見つけるのはそう簡単ではありません。
この中では、トリノフンダマシ類は比較的個体数が多くて見つけやすいのですが、昼間は木や草の葉の裏でじっとしていますので、よく気をつけて探さないと見落としてしまいます。
探す場所はいわゆる「里山」です。私が知っている二か所の「トリノフンダマシの楽園」は、一つめが川に接している空き地で、背の低い木と草がぼうぼうの場所、二つめは水田に接している林縁です。
しかし、私たちの目から見て同じような環境に見える場所でも、全然いなかったりしますので、いろいろな場所を根気よく探してみてください。
さらに、イセキグモ類とツキジグモ類はとても数が少ない「レア種」で、ほとんど見つかりません(クモの巣ハンドブックでのレア度はともに五つ星)。
もし見つけたらそれはすごいことですから、ぜひ網を観察してください。網をつくるのは夜、湿度が高い時です。
Author Profile
谷川明男
1956年神奈川県生まれ。筑波大学第二学群生物学類卒業。東京大学農学特定支援員、東京環境工科専門学校講師・博士(理学)、日本蜘蛛学会評議員。著書に『クモの巣図鑑』(共著,偕成社),『クモハンドブック』(共著,文一総合出版),『クモの巣ハンドブック』(共著,文一総合出版)など
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