第2回 動物たちの「行動」を切り出す
執筆・写真:森 由民(動物園ライター)
この連載では、実際の動物園の展示を例に、さまざまな飼育展示の方法を紹介します。読者のみなさんが動物園の展示をより豊かに楽しみ、そこからさまざまなメッセージを読み取る手がかりにしていただければと思っています。
第1回は、動物園の動物の野生を感じさせる展示をつくり上げるにあたり、ランドスケープ(景観)の再現が重視されることをお話ししました。眺めの臨場感を高めるために広く活用されている無柵放養式や、ライオンがアフリカのサバンナで草食動物と同居しているように見せる通景(パノラマ)の展示も見てきました。野生動物は、他の動物との共生を含む生息環境と一体となって生きています。ランドスケープの再現は、そのような全体性を体感させてくれるものです。
しかし、ランドスケープの再現が全体性を目指すものとしたら、その全体を形づくる個々の部分に注目して創られた展示はないのでしょうか。そして、そのような展示はどんな姿を取るのでしょうか。
北海道の旭山動物園は1990年代末、来園者の落ち込みで閉園になるかもしれないとまで言われましたが、次々と斬新な展示施設をつくることで、全国的にも有名な存在となりました。旭山動物園の展示のコンセプトは「行動展示」と称されています。行動展示の基本とは、動物たちが進化の中で身につけてきた性質とそれに基づく行動によって展示をつくるということです。中でも、2004年に創られた「あざらし館」に組み込まれたマリンウェイは行動展示の最高傑作と言ってもよいものです。
ゴマフアザラシが泳ぐ旭山動物園のマリンウェイ
マリンウェイとつながる大型水槽
マリンウェイ(アクリル・チューブ)は、ゴマフアザラシ(以下、アザラシ)の垂直方向のダイナミックな動きで評判を呼びました。アザラシは前後の足がひれになっており、海中を自由に泳いで魚を狩ります。その巧みな泳ぎはマリンウェイにつながった大型水槽でも見ることができます。しかし、マリンウェイはその中から垂直の動きだけを見事に切り出し、目の前に引き出して見せることで、人々の心を惹きつけました。
ここでひとつ大切なのは、マリンウェイのアザラシは、アザラシが野生でも示す本来の自然な行動で人々を惹きつけているということです。マリンウェイを通ること自体、特別な訓練(コントロール)に拠るものではなく、あざらし館で暮らすうちに自然に行うようになったものです。コントロールと呼ぶべきものがあるとしたら、アザラシたちの習性を先回りして予想し、それが引き出されるように施設を組み上げた構想の段階にあったと言えるでしょう。
もうひとつ、旭山動物園は新施設をつくる際、原則として新しい種類の動物を導入せずに、それまで飼育してきた動物の新しい見せかたを提示します。新しい種類の動物の導入と新しい施設の建設をセットで行うと、園や飼育スタッフの不慣れから飼育管理上の問題が生じたり、狙っていた展示効果が引き出せないことがあります。しかし、旭山動物園のやりかたならば、その動物に関する長年の経験があるので、安定した飼育ができます。その上で、まったく新しい見せかた(行動展示)によって「アザラシって、こんなにすごい動物だったのか」という新たな発見へと来園者を導いているのです。
同園で行われていたアカゲラの給餌の際の工夫なども、行動展示が日々の飼育の営みの中で見出された「この動物のここを伝えたい」という想いに根差していることを教えてくれます。
アカゲラの給餌システム。ハチミツの容器にミルワームを入れる
ミルワームを捕らえようと舌を伸ばすアカゲラ
ここでも透明なチューブを活かすことで、差し込まれた長い舌がミルワーム(ある種の甲虫の幼虫)を掻き出す様子を切り出し、野生のアカゲラが木に穿った穴から幹の中の虫を捕る習性を再現して見せていますが、この行動が選び取られたのは、日常的な観察の中で飼育者自身がアカゲラの舌のはたらきのすごさに惹きつけられたからに他なりません。この装置の素材も、蜂蜜の容器やチューブといった身の回りの物の組み合わせです。こういう実践の積み重ねがあってこそ、アザラシのマリンウェイのような大規模な構想も生み出され得たのです。
・現在アカゲラは飼育展示しておりません
市川市動植物園のスマトラオランウータンの運動場
蔓のように消防ホースを使うポポ(写真提供:市川市動植物園)
ツリーウェイ同様、消防ホースを伝って歩くリリー
市川市動植物園のスマトラオランウータン(以下、オランウータン)の展示場は一見、鉄柱やねじった消防ホースなどでつくられた人工的な空間です。しかし、彼らが柔軟な手足を駆使して動く姿からは、ここが彼らにとって東南アジアの森に通じる居心地の良い空間なのだろうと感じられます。この「運動具」と呼ばれる大掛かりな装置は、考案した飼育担当者が実際にスマトラの森を見て、オランウータンの暮らす樹上の構造を読み解いて構成したものです。
熱帯の樹木を人工物で再構築する
(詳細は市川市動植物園webページを参照 https://www.city.ichikawa.lg.jp/zoo/0328.html)
熱帯雨林の木の特徴は、すとんと高く伸びた幹と樹冠(森の一番上層の部分)に広がる枝です。オランウータンは一生の多くの時間を樹冠で過ごし、枝伝いに木から木へと移動し、夜ごとに枝葉を集めて組んだ鳥の巣のような寝床をつくって眠ります。木の枝からは蔓植物が垂れ下がっていることもありますが、それもオスでは体重80㎏を超えるとされるオランウータンの体を支えるだけの太さがある頑丈なものです。
このような木や頑丈な蔓を、日本で調達可能な植栽を使って動物園で再現することは困難ですが、市川市動植物園のねじった消防ホースはオランウータンの体重や力に耐えるとともに、彼らがちょうど握りやすい太さや質感なので、垂らせば蔓、横に張り巡らせれば樹冠の枝の広がりの構造と機能が再現されます。幹やごく太い枝を模した鉄骨や擬木とともに、展示場の設備の全体は、オランウータンにとって「本物の森と同じように使えるシステム」となっているのです。
大きなケージの展示場
ケージの格子を上り下りするイーバン
ケージ内の運動具でツリーウェイをするイーバン
広い運動場の隣には大きなケージの展示場がつくられましたが、大きなケージはオランウータンが頑丈な格子を自由に上り下りしたり、天井部分まで使ったりすることで、森の中での三次元の動きを再現しています。そして、運動具と同様に張り巡らせたロープ(ねじった消防ホース) が蔓や枝の役割をするため、彼らは地面を歩くよりも、この「再現された森の樹冠」を移動することを選ぶのです。
動物園の動物にとって、本来の行動がとれるかどうかは、展示施設が人工的かランドスケープ再現的かという見た目以前に、本来の森や海に近い構造かどうかが問題となります。また、上記のようなシステムを組むことで引き出され、フィーチャーされた動物たちの自然な行動は、来園者にも魅力的なものとなります。旭山動物園の行動展示は奇をてらったものでも、見世物的な派手さを目指したものでもなく、しかし、その「切り出しかたの見事さ」でブレイクし、息の長い人気を博していると考えられます。市川市動植物園の運動具も、飼育者の経験に裏付けられた生息環境(森)の構造の見極めによって、オランウータンの生き生きとした姿を引き出しています。
では、ランドスケープの再現という全体性と、個別的な行動・習性の見事な切り出しという部分性の強調は両立するのでしょうか。ランドスケープを保とうとするあまり人工物を排除するなら、動物たちの居心地が損なわれることはないのでしょうか。
しかし、逆にどんなにダイナミックな動きを見せてくれても、一方で、アザラシのマリンウェイやオランウータンの運動具は、動物本来の習性を考え、動物たちにとっての居心地にも配慮したものです。また、それらの展示としての魅力は、単に見栄えのする部分をうまく切り出しているとか、科学的に正しい構造の再現になっているだけのものではありません。たとえば、音楽の理論(科学)をまったく知らなければ曲はつくれないでしょうが、創り手のひらめきや個性があってこそ、見事で美しい作品が生まれます。マリンウェイや運動具も同じでしょう。
しかし、切り出された行動はそれだけで、動物たちの本来の生息環境での暮らしを思い描かせてくれるでしょうか。このような課題については、最終回で改めて考えてみたいと思います。
次回は少し視点を変え、「分類学的展示」と呼ばれる手法について考えてみたいと思います。
Author Profile
森由民
(もり ゆうみん)
1963年、神奈川県生まれ。動物園ライター。動物園批評家。全国の動物園・水族館をまわり、おもに飼育員と動物たちの関係や、動物園展示のあり方などを取材し、著作・講演・動物園ガイドなどの活動を行っている。著書に『動物園のひみつ 展示の工夫から飼育員の仕事まで』(PHP研究所)、『春・夏・秋・冬 どうぶつえん』(東洋館出版社)、『約束しよう、キリンのリンリン』(フレーベル館)などがある。『ZOOたん』(ウェブ子育てカフェ)連載中(https://kosodatecafe.jp/zoo/)。Twitter:@yuminciwas
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