一覧へ戻る

連載記事

Running Story

6/20 2018

にっぽん酒紀行

第5回 ハマベノギクの迷宮──美酒に想う海辺の情景

お酒は植物の稔りと微生物の力のたまもの。
それは、各地の気候、風土に寄り添ってきた人々のなりわいを背景に、土地土地の銘酒に育ちました。きき酒師にして植物学者、『酒米ハンドブック』の著者副島顕子さんが、人と自然の申し子・銘酒のふるさとを旅します。
 
副島さんの研究対象は野菊のなかま。かれらを探して各地をめぐるのも研究の一環です。第5回は、そのために訪れた海辺に咲く野菊の自生地から。
 
 
秋から冬にかけて、日本の長い海岸線はさまざまな野菊に彩られる。地域によってその種類は異なり、いがりまさしさんの『山溪ハンディ図鑑 日本の野菊』(山と溪谷社)によると、実に15種類もの野菊が入れ替わりながら日本の海岸を染め分けているという。そのほとんどは岩場や人を寄せ付けない崖に生育しているが、その中でただ一種、ハマベノギクだけが砂浜に大きな群落をつくる。

ハマベノギクの自生地を訪れた。半分砂に埋もれているが、四方八方に伸ばした枝先に青紫色の花が美しい。周囲の細長い葉は、同じく海岸に生えるコウボウムギのもの。その穂もいくつか写っている

このハマベノギク、最近の分子系統解析の結果を受けてシオン属に含められているが、かつては特徴的な冠毛をもつことで、ヤマジノギク、ソナレノギク、ヤナギノギク、ブゼンノギクとともにハマベノギク属として分けられていた。このグループは管状花の冠毛は長いのに、舌状花の冠毛だけが極端に短いのだ。他のシオン属では舌状花の冠毛も管状花と同じ長さである。わかりやすい特徴なので認識しやすいグループなのだが、実はこの中がややこしい。どれもよく似ていて中間形もあり、グループ内の識別が難しいのだ。私はこれをハマベノギク属の迷宮と呼んでいる。しかし、四方八方に枝を這わせる独特の姿をもつハマベノギクだけはGood Species(他の種と区別が容易な種のこと)だと思っていた。実際、たいていの図鑑や植物誌でもハマベノギクは独立種、ヤマジノギク、ソナレノギク、ヤナギノギク、ブゼンノギクは一つの種の中の変異(変種)とされている。

キク科の「花」とされる部分は、実はたくさんの花をつけた枝が極端に短縮したようなもので、専門的には「頭花(とうか)」と呼ばれる。頭花をつくるひとつひとつの花は、小花(しょうか)と呼ばれる。頭花の外周近くに並ぶ花びらのある小花は「舌状花(ぜつじょうか)」という。内側には目立つ花びらのない小花、「管状花(かんじょうか)」が並ぶ。小花ひとつずつがひとつの種子(「痩果(そうか)」と呼ばれる果実)をつける。痩果には、タンポポでよく知られるように、冠毛(かんもう)という毛があるものが多い。そうした種類では、頭花をばらして小花を取り出してルーペなどで観察すると、たねになる前の時期でも、冠毛を確認することができる。管状花と舌状花の冠毛の長さが大きく異なる点がハマベノギクのなかまの特徴。痩果にもその違いが残る

長年ややこしいグループだと思って敬遠していたのだが、いくつかのサンプルが持ちこまれるにあたってついに見て見ぬ振りができなくなり、迷宮に取り組むことになった。最初はわかりやすいハマベノギクから。いや、ハマベノギクだって問題がないわけじゃないことくらいわかっていた。わかってはいたが、いざ正面から向き合うとやはりなかなか一筋縄ではいかないのである。まず、典型的なハマベノギクは丹後半島と鳥取砂丘くらいにしか見つからない。九州では岩場に生育していてやや立ち上がるものがハマベノギクと呼ばれている。そして、日本海沿いに点々と連続してあると思っていた生育地には大きな空白地帯があったりする。まずは典型的なハマベノギクの生育地を見ようと昨年の11月、学生を連れてレンタカーで京丹後市の海岸に向かった。花期が終わる直前だったが、コウボウムギと混じった大きな群落があり、青紫の花をたくさん着けていた。野菊の仲間としては大型の頭花をもち、肉厚の葉も美しく、園芸植物なみに見栄えのいい植物である。

ハマベノギクの葉と花。紫の色合いも、葉の質感も好ましい

とりあえず一箇所生育地を見つけたことで安心し、次の場所への移動の途中で見慣れた名前の看板が目についた。そういえば、ここは合併によって京丹後市の一部となった久美浜(くみはま)町。玉川という酒で知られる木下酒造さんのあるところ。10年ほど前に一度、酒屋主催のバスツアーで訪れたことがある。今回は植物調査に気を取られていて忘れていたのだが、嬉しい偶然である。もちろん休憩と称して酒蔵に併設されている直営の販売所に立ち寄る。同行の学生には地酒ソフトクリームなるものを持たせておいて、店内の商品をチェック。ここはイギリス生まれのフィリップ・ハーパーさんが杜氏を務めることで知られる有名なお蔵である。

日本海沿岸のハマベノギクの分布と「玉川」のお蔵の位置。ハマベノギクは、日本海沿岸に広く分布しているようだが、山陰地方の産地は島根県の一か所だけ。不思議

木下酒造の販売所に立ち寄る。ソフトクリームの看板が異彩を放つ

実は私、軽薄にもこのハーパーさんのお酒のファンで、彼が奈良の酒蔵から大阪の酒蔵を経て今のお蔵にいたるまで追っかけをしているのだ。10年前このお蔵を訪ねた時には、見学の間中ハーパーさんの後ろを付いてまわった。ハーパーさんは日本語が堪能である。原料や工程の工夫についてなど、うるさく尋ねる質問ひとつひとつに達者な関西弁で丁寧に答えてくれた。そして最後、いよいよ試飲となった時、ちょっと生真面目な表情になって「お酒は頭で飲んだらあかんよ」と一言。釘をさしたり諭したりという感じではなかった。まずは知識やうんちく抜きでお酒を味わってね。そんな感じだったと思う。
今回偶然立ち寄った販売所でもハーパーさんの姿をおみかけした。一見して「外人さん」なのだが、その姿はすっかり蔵に溶け込んでいて、蔵人とのやりとりもどこか頼もしい。蔵で購入したのは直売所限定の「玉川純米無濾過生原酒」。酒米は雄町。しっかり幅の広い旨味がおいしくて、安定感があるお酒だ。あたまでのんだらあかんよ。やわらかい関西弁が思い出される。蔵から海は見えない。でもこの、海の向こうから来た杜氏が造る美酒を飲めば、ハマベノギクと白い砂浜、背景の青い海が鮮やかに脳裏に蘇る。

ハマベノギクが自生する鳥取砂丘の海岸

ハマベノギクの目下の課題は久美浜や鳥取砂丘の典型的なハマベノギクと九州北部の岩場の「ハマベノギク」が同じかどうかだ。両者が遺伝的に分化している気配はある。起源が違うことを示しているのだろうか、それともひとつのものが分かれつつあるのだろうか? ヤマジノギクなどとの関係は? 迷宮の出口はまだ遥か彼方である。
 
 

Author Profile

副島 顕子

熊本大学大学院先端科学研究部教授.専門は植物系統分類学.国内外で植物採集をおこない,研究室では分子生物学的な研究をしている.趣味で日本酒指導師範,唎酒師,スピリッツアドバイザー,焼酎唎酒師の資格を取得.『酒米ハンドブック』(文一総合出版)著者.

Back Number にっぽん酒紀行

このページの上に戻る
  • instagram