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5/18 2018

にっぽん酒紀行

第2回 石灰岩の恩寵──古い酒米「白菊」「造酒錦」を復活させた蔵

お酒は植物の稔りと微生物の力のたまもの。
それは、各地の気候、風土に寄り添ってきた人々のなりわいを背景に、土地土地の銘酒に育ちました。酒師にして植物学者、『酒米ハンドブック』の著者副島顕子さんが、人と自然の申し子・銘酒のふるさとを旅します。第2回は、岡山県高梁市のお蔵から、「岩」の恵みをお届けします。
 
 

大昔、サンゴや有孔虫といった海に棲む生きものによってつくられた岩石が石灰岩である。地殻変動で地表に現れたそれは、風雨にさらされ、長い年月を経て地下に奇妙な空間をもつ鍾乳洞を形成する。各地で観光地となっており、私も奇妙な形の鍾乳石や透明な水をたたえる地底湖の幻想的な光景が好きで、鍾乳洞があれば入ってみることにしている。
 
しかし、石灰岩の面白さは地上にもある。石灰岩地の土壌は、カルシウムだけはたっぷりあるが窒素やリンなどにとぼしく貧栄養で、森林が発達せずに草原となることがあるのだ。最も有名なのは、山口県の秋吉台であろう。草原のところどころにすり鉢状のドリーネがぽっかり口を開ける独特の光景で、石灰岩地に特有の植生が成立している。石灰岩特有の植物には、石灰岩環境を積極的に好むものと、耐性があるからそこに生育できるものがあるが、いずれにしても厳しい環境で競争が少ない場所に適応して種分化したものだろう。
 
石灰岩地は日本の各地に出現するが、岡山県の阿哲(あてつ)地方もその筋では有名な石灰岩台地である。植物学的には、岡山県の北西部から広島県の北東部にかけて、高梁川(たかはしがわ)とその支流の成羽川(なりわがわ)の上流に広がる地域を指す。古くからアテツマンサクやキビヒトリシズカ、イワヤクシソウなどの特異的な種があることが知られており、牧野富太郎も何度か採集に訪れたという。

 
高梁川水系は岡山三大河川の一つで、その豊かな水量は石灰岩地に深い渓谷を刻んでいる。その中流域、成羽川と高梁川の合流点の近くに白菊酒造という小さな酒蔵がある。昔は桶売りをしてかなり量産していたというが、現在は地元の米にこだわって良質のお酒を少量造る意欲的なお蔵だ。
 
岡山といえば、「山田錦(やまだにしき)」と人気を二分する酒米「雄町(おまち)」の9割を生産することで有名な県である。近年は、やはり岡山特産の「朝日米(あさひまい)」という米も、「雄町」と同様酒造りに適した飯米として、愛飲家に話題を提供している。酒どころの灘(兵庫)と西条(広島)の間にあって目立たない県ながら、実は重要な酒米どころなのだ。
 
白菊酒造では、「雄町」の血を引く「白菊(しらぎく)」や、山田錦の突然変異品種である「造酒錦(みきにしき)」という2種類の古い酒米も独自に復活させて使っている。飲み比べて味の違いをあれこれ考えてみるのも楽しみのひとつだし、違いがわからなくても美味しければそれでよし。
 

造酒錦は,岡山県の酒米第1号。山田錦の突然変異株から育成されたが,長く栽培は途絶えていた。白菊は雄町の血を引くつくりやすい品種だったが,こちらも長く作られてこなかった。岡山県では,今回訪ねた白菊酒造が独自に復活させ,酒造りに使っている

①いろいろな酒米。奥から,山田錦,白菊,造酒錦,雄町。精米していない,もみがらのついたままの状態のものも
②酒米の稲束。右から,雄町,山田錦,造酒錦,白菊,朝日(岡山ではなぜか「朝日米」と呼ばれる)。雄町は丈が高いのがよくわかる。そのため倒れやすく,一時作付けが減少した

 
 
蔵を訪れたのは昨年3月初めのこと。昭和47年の成羽川の水害で移転したという現在の場所は、落葉樹林に覆われた小高い山々の山あいにあり、周囲の林床には雪が白く残っていた。温暖な瀬戸内地方にあっても、山間部は寒暖の差が激しい。四季の移り変わりがはっきりした山里であることがわかる。井戸から汲まれる仕込み水は、カルシウム、マグネシウムに富み、膨らみがありながらもすっきりときれいな酒質を醸す。この水こそが上流の石灰岩台地の恵みである。山を見上げ、上流の石灰岩台地に思いを馳せた時にふと気がついた。そういえば、阿哲地方に足を踏み入れたことはまだない、と。
 
 
 

Author Profile

副島 顕子

熊本大学大学院先端科学研究部教授.専門は植物系統分類学.国内外で植物採集をおこない,研究室では分子生物学的な研究をしている.趣味で日本酒指導師範,唎酒師,スピリッツアドバイザー,焼酎唎酒師の資格を取得.『酒米ハンドブック』(文一総合出版)著者.

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