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連載記事

Running Story

7/18 2018

マラリア危機一髪! とある熱帯林研究者の奮闘記

第3回 調査地へ向けてインドネシアを爆走!

 
広島大学・山田俊弘教授がお届けする、科学と笑いの奇跡のコラボレーション!
第2回で、隊長に次なる調査に誘われた筆者は1年後、ついに調査へ出発。
しかし、熱帯林に辿り着くまでにも、さまざまな困難を切り抜ける必要があったのだ!

インドネシア東カリマンタン州にあるクタイ国立公園内の風景。見渡す限り、深刻な山火事の影響を受けた森が広がっていた。サマリンダとサンガッタを結ぶ幹線道路沿いでは、たとえ国立公園内であっても手つかずの自然は残されていない

調査許可の手続き:インドネシア首都・ジャカルタ

 
あっという間に一年が過ぎ、東カリマンタン州への調査に向かう日がやってきました。7月20日のことでした。
 
外国人の私たちに森林の調査を許してくれるインドネシアの懐の深さには感謝しなければなりませんが、調査を行うためには、やはりそれなりの手続きを行う必要があります。
 
この手続きは、インドネシア研究技術省を通して調査ビサを取得するなど、インドネシア入国前から始められ、インドネシア入国後に数日をかけて完了されます。インドネシア入国後には、まずは、首都、ジャカルタ(Jakarta)にある政府の諸機関を訪問します。インドネシア科学院に出向き、調査内容を説明し、調査許可書を発行してもらい、その許可書を持って警察署、インドネシア内務省と回り、それぞれから許可をいただくのです。今回私たちが調査に入る森林は、インドネシア森林公社(木材生産をおもな目的に、森林の管理と経営を行う国営の機関)の管轄にありましたから、森林公社からの調査許可も必要でした。もし、調査に向かう先が国立公園ならば、これに加えて自然保護局からも許可をいただく必要があります。
 
それぞれで、申請書を出すまでに数時間、申請してから許可書が発給されるまで数時間かかり、忍耐が必要ですし、「申請書は確かに受け取りましたが、許可書を本日中に発給することは無理です。明日、あらためて、許可証を取りに来てください」と言われることもよくあります。
この申請はスタンプラリーのごとく、研究技術省の許可がなければ、インドネシア科学院の許可はもらえず、インドネシア科学院の許可がなければ、警察の許可はいただけないという仕組みになっていて、慣れていないと最適化された順番で回ることができません。順番を間違えてしまうと、たとえ申請書の提出のため数時間待っていても、いざ自分たちの順番が回ってきたときに、「先に○○に行ってください」とけんもほろろに突っ返されて、無駄骨を折ることになってしまいます。
 
結局、すべての調査許可を得て、東カリマンタン州に向かうためには、少なくとも数日の滞在が必要になります。ただし、こうした許可を得さえすれば、外国人が山奥に入り、調査をすることが許されるわけですから、インドネシア政府には本当に感謝しなければなりません。また、もし調査中に何かあった場合、インドネシア政府が我々に公的な援助を差し向ける際のデータベースの役割も申請書類は担っていることでしょうから、結局は自分たちのために申請しているような性質も持っています。
 
こうして、調査許可を得るために首都ジャカルタにある政府の機関を何日かかけて、何か所も訪問するのですけれども、この間、私たちはジャカルタに滞在するわけではありません。いえ、別にジャカルタに滞在しないように指導されているのでも何でもないのですが、ジャカルタから50 kmほど離れたボゴール(Bogor)という町に滞在することがほとんどです。

待ち時間の有効活用:ボゴール

ジャカルタ市内の交通渋滞

 
ボゴールとジャカルタの移動には、高速道路を利用することができますが、到着時間は道路の混み具合に完全に依存しています。道が混んでいなければ、1時間くらいで着くことができる距離ですが、道が混んでいる場合は、数時間かかることさえあります。
 
タクシーを利用してジャカルタとボゴール間を移動することが常なのですが、このタクシーがくせ者で、彼らにとっては普通の運転が、私たち日本人にとっては普通ではなく、どちらかというと、じぇーん、じぇーん、極めてクレイジーで、毎回、「ひぇ~」という情けない溜息を何度も漏らしてしまうことになります。たとえば、時速120 kmくらい飛ばしながら(速度メータ自体が壊れていて、感覚的に“速い”ということしかわからないことさえあります)、車間距離を数メートルしかとらない、つまり、あおり運転が日常的に行われます。それでも前の車が道を空けない場合は、容赦なく景気よくクラクションがかき鳴らされます。こんな運転をするのは、どうやらタクシー運転手だけではないようで、高速道路のあちこちから、プップクプー、プップクプーと威勢のいいクラクションの音が聞こえてきます。
 
私は、「そんなに急いでいるわけではないのだから、ここはひとつ、穏便な方の運転で頼むよ」と、いつも心で念じてはいるのですが、なぜ念じるだけで、口頭で伝えないかといいますと、運転手を矯正することをあきらめているからであり、そりゃ私だって口頭で伝達する方法を実践したことだってありますが、その時だって運転手は、真面目な顔で、私の目を見ながら、「わかった」とうなずいたので、「なんだ、じぇーん、じぇーん、すぐにわかり合えちゃうじゃん。こういうのを、異文化共生、相互理解って言うんだよなぁ」と感動していたのも束の間、ハンドルを握ると、いつも通りの彼の運転が再開されるだけで、その当時の私は、「じぇーんじぇーん、わかってないじゃーん」、と泣きそうになりながらも、下唇をかみしめることしかできず、これをもって私は、不良少年の更生をあきらめた先生のように、運転手の非行運転を呆然と眺めるのが常になってしまったのです。
 
では、そうした運転でも事故は起きないのか? というと、たぶん日本で起こるよりずっと高い頻度で起きているような気がしてならないのですが、というのも、高速道路のあちこちで、横転した車やらなんやらが、散見されるからです。結構、事態は深刻だと思われます。
こんなリスクを抱えてまで、ボゴールに滞在するには理由がたくさんあるのです。まず、ボゴールは標高300 mくらいの高地にあり、その分涼しく、過ごしやすいだけでなく、大統領宮殿があったりして、気持ちも豊かになれるのです(ジャカルタでは気持ちがすさむという意味ではありません)。しかし、「過ごしやすい」だけを理由に、生命を事故の危機に晒すのは、賢い選択ではないでしょう。実は、これ以外にもたくさんの理由があるのです。
 
例えば、私たちの調査を共同で進めてくれるインドネシア側の研究者はボゴールにいるため、彼らとの打ち合わせをすることができます。それに、世界中の研究者が調査許可申請時にボゴールに滞在することが多いので、いろいろな情報交換ができるという利点もあります。また、ボゴールにはクブンラヤ(Kebun Raya)と呼ばれる世界屈指の規模の植物園があり、植物の観察がたやすく行えますし、ハーバリウム ボゴリエンセ(Herbarium Bogoriense)と呼ばれる植物標本館※(腊葉標本が保存された建物)では、植物の知識を増やすことができます。とくに植物標本館は、オランダ統治時代からコレクションを始めており、インドネシアの各地で採集された100万枚に迫る数の腊葉標本が保管されており、植物の勉強をするのにはうってつけの場所です。

※現在、植物標本館はチビノン(Cibinong)に移転されています。
 
こうした利点を考えると、「やはり滞在はボゴール!」、となるのです。調査許可申請は、許可書を発給していただく相手のペースで進められますから、「明日まで待ってねぇ」なんていう、空いた時間が不意に作られてしまうことがよくあります。こうした時間を有効活用できるのが、ボゴールなのです。
 
結局、今回も調査許可を取るために、5日間のボゴールの滞在が必要で、東カリマンタンへ向けて出発できたのは、7月25日のことでした。

ハーバリウム ボゴリエンセ(Herbarium Bogoriense, 植物標本館)は広島大学西図書館位の大きさの建物の中に鉄庫がぎっしりと詰め込まれており、鉄庫の中には腊葉標本が整然と保管されている。インドネシア各地で採集された植物標本が100万枚近くが所蔵されている

強力な共同研究者、カオさんと合流:サマリンダ

東カリマンタン州の州都はサマリンダ(Samarinda)ですが、国際空港があり、東カリマンタン州の玄関口になっているのは、隣町のバリクパパン(Balikpapan)です。

インドネシアは数多くの島からなる国である。調査地の東カリマンタン州(図中赤色の地域)北部タンジュンレデップに行くためには、まず図中下側にあるジャワ島西部の首都ジャカルタへ向かい、調査の許可を得る。近隣のボゴールに滞在したあと、空路でボルネオ(カリマンタン)島のバリクパパンに移動する。その後、共同研究者とサマリンダで合流し、サンタン、ボンタン、クタイ国立公園(図中黄色部分)、サンガッタを経由し、タンジュンレデップを目指す

 
私たちも、飛行機で、バリクパパンから東カリマンタン州に入りましたが、バリクパパンに用はないので、120 kmくらい離れているサマリンダまで、陸路、直行することにしました。私にとっては、東カリマンタン州に入るのはこれが初めてのことでしたので、見るものすべて新しく、新鮮でした。道沿いにたくさん屋台が出ていることから、現地ではイカンバカールと呼ばれている“魚の炭火焼き”が、東カリマンタン州名物のようで、サマリンダへの道すがらの屋台で、ひとつ試しに食べてみたのですが、激しくおいしかったことを記憶しております。
 
サマリンダでは、強力な共同研究者が待ってくれていました。インドネシア人のカオさん(偽名)という方で、彼は東カリマンタン州での長い調査経験があるだけでなく、私と同じ研究室で大学院を修了した同窓生でもあり、とはいえカオさんは私よりも10才以上年上で、今やインドネシアの大学の教授というえらいお立場の人でありました。東カリマンタン州の植物をよく知っていて、さらに、日本語が通じてしまうという、まず、普通見当たらないような人物であるカオさんが、これから1か月少々の森林調査にずっと帯同してくれるということですから、これ以上心強いことはありません。
 
カオさんには、実は面と向かって言ったことはありませんが、個人的には90年代にM.C.ハマーがU Can’t Touch Thisでサンプルしたことでもなじみが深い、“スーパーフリーク”を歌っていたリック・ジェームスにそっくりだな、と思っております。しかし、リック・ジェームスとは違って、カオさんは長髪ではありませんし、生きざまは堅実で、麻薬とセックスに溺れたというリック・ジェームスのそれとは対照的です。
 
サマリンダに着いた頃はもう夕方だったので、明日、サマリンダの州警察に調査許可を申請し、許可が下りれば、明後日に東カリマンタン州北部の町、タンジュンレデップ(Tanjung Redeb)に向かうということとなりました。バリクパパンとタンジュンレデップの間には、1日1往復するだけの、20人も乗れば満席となる小型機が飛んでいましたが、ここ数日はずっと満席だということで、帰りの便だけ抑えて、往路は陸路でタンジュンレデップを目指すこととなりました。
 
サマリンダとタンジュンレデップは550 kmくらい離れています。日本ならば、高速道路を用いれば半日余りで着く距離なのでしょうが、サマリンダとタンジュンレデップの間は道が付いているとはいえ、ところどころまだ舗装がされておらず、とてもとても1日では着く道のりではありません。結局、2日掛けてタンジュンレデップに向かうことになりました。
 
さて、問題は、我々をタンジュンレデップまで送ってくれる車が見つかるかどうかでした。車の調達はカオさんが引き受けてくれました。私たち日本人が付いてくると、法外な料金を吹っ掛けられてしまうかもしれないという理由で、カオさん1人が車を探しにサマリンダの街に消えてゆきました。へとへとになったカオさんが帰ってきたのは、夕方遅くのことでした。カオさんによれば、「タンジュンレデップまでの道はあまりよくないので、じぇーんじぇーん、行きたがる人はいましぇーん」、ということだったのだけれども、何とか車を二台確保できて、明日ホテルに迎えに来てもらえることになった、と、成果を教えてくれました。そんな彼を見て、カオさんは本当に頼りになるなぁ、カオさんは本当にリック・ジェームスに似ているなぁ、と思っておりました。
 
果たして、翌朝に車は2台来てくれたのですが、これで本当にタンジュンレデップまで行けるのかいな? という感じの、結構年季の入った車でした。荷物を詰め込み、出発すると、エアコンが壊れていることが判明しましたが、「まぁ、窓を開けていれば大した問題ではないだろう。贅沢は言ってはいられない」、と、そのままタンジュンレデップを目指して出発しました。
 

森林はどこに?:クタイ国立公園

初日は、サマリンダからサンタン(Santan)、ボンタン(Bontang)を経由して、サンガッタ(Sangata)を目指しました。約250 kmの移動になります。
 
サンガッタまでは、田舎道が続きますが、立派な森は見当たりません。どうやら、1980年代から繰り返し起こっている山火事で、あらかた森林は燃えてしまったようです。
 
ボンタンを超えてしばし走ったところで、隊長が急に車を止めました。車が止まった小高い場所からは、周りの光景がよく見えましたが、見渡す限り、山火事後の森林が広がっていて、高さ20 mにも満たないような木々が、まばらに生えているだけで、熱帯雨林の特徴でもある、50 mを超えるような大木はどこにも見当たりませんでした。「なぜこんなところで車を停めるのだろう?」と思っていると、ふと道端にぽつんと立った看板が目に入りました。
 
インドネシア語で書かれた看板を読んでみると、「ようこそクタイ国立公園へ。自然を大切にしましょう」と書いてありました。「はて? どこに、国立公園?」と思っていると、カオさんが、
 
「やまださーん、ここは国立公園の中でーす。でも、このように焼け野原で、元々の自然はじぇーんじぇーん、残っていませーん」
 
と教えてくれました。さらにカオさんは、
 
「私はここが燃える前の姿を知っていまーす。燃える前に森林調査に来て、まさにこの場所に、テントを張ったのを、はっきりと、私、覚えてまーす。その頃は、この辺りにも大きな木が、たくさん生えた立派な林でした。それが今や、見ての通りの焼け野原でーす。私はとてもさみしいでーす」
 
と、言いました。カオさんを見ると、本当に寂しそうでした。

サマリンダからサンガッタへ続く道沿いにある看板には、ここがクタイ国立庫園内であることが書かれていた。しかし、この辺りには手つかずの自然は全く残されておらず、山火事後の荒廃した森林が広がっていた

私はそれまで、自然を残すことなんて、国立公園を設定してやれば、余裕でできてしまうことだと高をくくっていたところがあったのですが、この時、国立公園を設定するだけで自然を残すことができるほど、自然保護は簡単なものではないことを学びました。国立公園を設定するだけでなく、他にもう一工夫も二工夫もしなければ、自然は守れないのです。
 
もちろん、大阪府の全体の面積を上回るほどの広大なクタイ国立公園ですから、まだどこかに、山火事を免れた、元々の自然が残っているのことでしょう。しかし、私たちが今、利用しているような道路を通してしまうと、その周りの自然は急速に失われてしまうのです。それまで人を寄せ付けなかった熱帯林も、この道が人の森林へのアクセスを容易にさせてしまい、国立公園内では許されていない農地開発などが急速に進んでしまうのです。私たちの生活を便利にさせる道路の開通は、同時に自然を蝕んでしまう危険をはらんでおり、まさに、痛しかゆしの状態です。この時から私は、自然を守りながら生活を豊かにする方便を意識するようになったと思います。自然保全と生活の向上の両立は、今や私の主要な研究テーマになっています(※)。
※ 文一総合出版『温暖化対策で熱帯林は救えるか』第2章第4節 「保護林の住民利用とそれによる森林保護」参照

爆走! マッドマックス並みの土煙:サンガッタからタンジュンレデップへ

次の日はサンガッタからタンジュンレデップを目指しましたが、ここからは舗装されていない道が続きます。そうすると、エアコンが利かないことが、大変な結果を引き起こすことを学びました。ドライバーは、運転が上手で、舗装されていない道でも、結構なスピードで、土煙をあげながら爆走しています。そうすると、前を走っている車はいいのですが、後ろを走っている車は、前の車が巻き上げた土煙の中をひたすら走り続けることになります。

土煙を上げながら爆走する我々を乗せた車

 
はじめのうちこそ、土埃を上げながら爆走する前の車を眺めながら、「ヒャーッ、ハァッ、ハァッー!」と、マッドマックス気取りで奇声を上げ、調子に乗っていたのですが、そんなことができたのはほんの数分で、すぐに土煙が、息をするのも困難なほどのひどさであることを思い知らされました。さりとて、エアコンが効かない車内は、窓を閉めるとすぐにサウナ状態となり、まったく耐えられたものではありません。窓を開けっぱなしにするしかないのですが、窓を開けると、やはり、埃がひどい。仕方がなく、窓を開けつつ、西部劇の銀行強盗気取りで鼻と口の部分をタオルで隠し、吸気に埃が入りにくいようにすることで、なんとかその場をしのぐしかありませんでした。
 
隣の席でもカオさんが、同じように口と鼻をタオルで覆っていたのですが、そんな状態で車を小一時間位走らせたところで、ふと、隣席のカオさんの方を見ると、そこにはもう、カオさんはいなくなっていて、代わりに奇妙な妖怪が鎮座されておりました。しかし、よく見ると、その妖怪は変わり果てたカオさんの成れの果てで、タオルで覆っていない、もろだしの、目から上の部分には、土埃がこびりつき、このあたりの土の色である、真っ黄色に変色している一方で、鼻から下のタオルで覆っている部分は、地の肌の色という、これはもう見事なツートンカラーに仕上がっており、妖怪と表現するにふさわしい、堂々たる風貌となっていたのでした。しかし、私だって人のことは笑えません。カオさんと同じことをしていたのですから、私もツートンカラーの妖怪に変化していたのは、自然なことです。お互いがお互いの妖怪顔を見て、大笑いをしているうちに、無事、目的の街、タンジュンレデップに着くことができました。
 

サンガッタを超えるとガソリンスタンドはない。ここから先での給油は、こうして手動で行われていた

 
次回予告
調査予定の森林の最寄りの町、タンジュンレデップに到着した我々。さぁ、目的地の森は目前だ。
次回は、これから始まる1か月のジャングル生活に向けた、調査と生活の準備を紹介!
 
この連載は、ブンイチvol.2 に掲載された「山田、マラリアにかかったってよ」の皆様からの反響が大きかったことから始まりました。山田先生への応援メッセージはぜひBuNaのTwitterFacebookなどからBuNa編集委員までお願いします!
 
 

Author Profile

山田 俊弘

広島大学大学院 総合科学研究科 教授.博士(理学)
熱帯林での25年を超える研究歴(植物生態学・森林生態学)があり,毎年数回,インドネシア,マレーシア,ミャンマーなどの熱帯林で調査を行っている.専門は熱帯林の生物多様性とその保全.2015年 日本生態学会大島賞受賞.著書は『絵でわかる進化のしくみ 種の誕生と消滅』(講談社),『温暖化対策で熱帯林は救えるか』(分担執筆:2章ー4担当、文一総合出版),『論文を書くための科学の手順』(文一総合出版).
ホームページ:http://home.hiroshima-u.ac.jp/yamada07/
ブログ:http://home.hiroshima-u.ac.jp/yamada07/posts/post_archive.html

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