第4回 知られざる調査小屋での暮らし
第3回で、ようやく調査地の近くの街・インドネシア東カリマンタン州にあるタンジュンレデップに到着した一行。
調査までのステップはまだまだある。まずは衣食住の確保!
そして、快適な調査のためのマットレス叩きとは?
いよいよ熱帯林へ!東カリマンタン州タンジュンレデップの雑貨屋さんで、これから1か月の山籠もりに備えて生活必需品を買いそろえる
東カリマンタン州北部にある街、タンジュンレデップ(Tanjung Redeb)は、私たちが調査をする森があるブラウ県の県庁所在地です。ここにある県警察本部からもらえる入林の許可が、最後の調査許可になります。
調査に入る森林はここからさらに1時間ほど車で移動したところにありますが、そこにはもう森しかありませんので、この街でこれから1か月山籠もりをするための物資を調達しなければなりません。タンジュンレデップは大きな町ですから、生活必需品から調査用の消耗品まで、何でも手に入ります。
生活に必要なものには、例えば、鍋やフライパン、薬缶のような什器や石油式のコンロ、食器類、お弁当箱、それから1か月分の食材があげられます。お米やインスタントラーメン、干し魚、肉や魚の缶詰など、傷みにくいものを中心に買い揃えます。塩や味の素、ケチャップアシンと呼ばれる醤油っぽい調味料やケチャップマニスと呼ばれる焼き鳥のたれ風味の調味料、サンバルと呼ばれている唐辛子ペーストの調味料も調達します。特にケチャップマニスは、ご飯にかけるだけで、バーチャル焼き鳥どんが出来上がり、いわば焼き鳥どん(焼き鳥抜き)というような裏メニュー的でもあり、私のちょっとしたお気に入りでした。ただ、本当は焼き鳥の方も欲しいな、といつも思っていましたが……。それから、砂糖やコーヒーなども買い込みます。1か月分ともなると大変な量ですが、一度山に入ると買い出しのために下山することは難しいので、どれだけ買っても、途中で足りなくならないか心配になります。
セガ川沿いに広がるタンジュンレデップの街並み
雑貨屋さんの内部
食材以外にも、石鹸や洗濯石鹸、マラリア対策にもなる蚊帳なども買います。
調査に必要な消耗品で外すことができないのが、腊葉(さくよう)標本(※)作成に関するもので、大量の新聞紙にナイロンロープ、厚手で大きめのビニール袋、20リットル位のアルコールです。調査をした森にその種類の植物が生えていた証拠として、生えていたすべての種類について、少なくとも1つは腊葉標本を作製するのが私たちのやり方です。1か月も調査をすれば、数千枚にも及ぶ本当にたくさんの腊葉標本ができてしまいます。
(※ 押し葉標本のこと)
さて、この腊葉標本ですが、新聞紙に挟んでいるだけでは植物体が腐ってしまったり、カビが生えたりして、数日でダメになってしまいます。腊葉標本は新聞紙に押しつぶしたら、ただちに乾燥機で乾燥し、植物体から水分を飛ばさなければならないのです。しかし、森の中には植物を乾燥させるための設備などあるわけがありません。乾燥機で急速に乾燥ができないのならば、毎日、新聞紙を取り換えるという世話をしなければならないのですが、腊葉標本は毎日増え続けていきますので、こんなことをしていたら、作業量が毎日増えてゆき、そのうちおっつかなくなり、すぐに破たんしてしまうのが目に見えています。
ジャングルで採集した植物から腊葉標本を作製中。植物は適当な大きさに整えられ、1つずつ新聞にはさんでいく。調査ではこうした腊葉標本が大量に作られる。調査で最も重要な仕事のひとつだ
とはいえ、腊葉標本を新聞紙に挟んでいるだけで、あとは何もせずに放っておけば、先ほどにも書きましたように、腐ったり、カビたりするだけでなく、すべての葉が枝から外れてしまうのです。植物は乾燥にさらされるといろいろな方法でそれを乗り越えようとします。葉から出て行く水が、植物体から抜けてゆく水のほとんどになりますので、植物は「気孔(※)を閉じる」などのいろいろ工夫して、葉から水が抜けないようにするのですが、それでもどうしようもないレベルの乾燥にさらされた場合、葉を落とすという究極の反応を示します。葉を落としてしまうと、光合成ができなくなるという不利益も被りますが、植物体から奪われる水の量はほとんどなくなります。まさに落葉は、「背に腹はかえられない」という乾燥に対する究極の反応なのです。つまり、植物は極度の乾燥にさらされると、アブジシン酸と呼ばれる落葉を促進するホルモンを合成し、自ら落葉をしてしまうのです。
(※ 葉にある、二酸化炭素や水の大気との間の通路。植物は気孔を空けたり閉じたりすることができ、二酸化炭素の取り入れや水の蒸散を調節している。気孔を閉じれば水の蒸散を低くすることができる)
腊葉標本を作るために、私たちは枝先だけ採集します。植物本体から切り離された標本用の枝先は、もちろん、植物本体からの水の供給が断たれるわけですから、極度の乾燥にさらされるわけです。このとき枝先は、どうやら自分が腊葉標本にされたことに気が付いておらず、「ただいま私は極度の乾燥にさらされております。大ピンチです!」と判断し、アブジシン酸を合成し、自ら落葉を進めてしまうようなのです。こうなると葉と枝がばらばらになってしまうわけですから、せっかく腊葉標本を作っても台無しになってしまいます。
そうならないようにする工夫が、アルコールです。
その日に取ってくる植物は、多い日には100点を超えます。これらを別々の新聞に挟み、何枚もの新聞紙を束にして、ナイロン紐でくくります。こうしてできた新聞紙の束を、厚手のビニール袋に入れて、上から腊葉標本のすべてにかかるように、満遍なくアルコールをかけます。アルコールをかけられると、植物は一瞬で死んでしまうので、それ以降、生理活性は完全に止まり、アブジシン酸が作られることもなければ、落葉が促進されることもありません。アルコールにつければ、葉が枝から落ちてしまうことがなければ、アルコールに守られて、カビが生えることも、植物体が腐ることもありません。
アルコールの効果は絶大ですが、あまり長持ちはしません。やっともって3か月くらいです。ですから、アルコールをかけてから、3か月以内には、腊葉標本を乾燥機で乾燥させなければなりません。今回の私たちの調査期間はたったの1か月ですから、3か月の制約に悩まされることはありません。
ちなみに、植物探検調査は、3か月間のことが多いです。植物探検調査とは、(前人未到の)ジャングルを3か月間歩き回り、植物を採集し続けるという調査ですが、この3か月という調査期間は、アルコールの利用可能期間の制約のせいで決まっているのです。
インドネシアでは、タンジュンレデップくらいの大きさの街になれば、新聞紙、ビニール袋、アルコールはすべて、簡単に入手できます。
馴染みのお店やさん。アルコールはペンキ屋さんで買う
こうした物資の調達を済ませ、とうとう山に入る時が来ました。林業公社のタンジュンレデップ出張所に行くと、ジャカルタの本署から私たちが訪れるニュースが届いていたらしく、職員さんたちがとても暖かく出迎えてくれました。そして、ヨーロッパ連合が建立した調査小屋が使えることや、我々の調査に必要な調査助手を探しておいてくれたこと、そして、今から山に入る時には車を利用できることを伝えてくれ、そして、下山日には、やはり、車で迎えに来てくれることを約束してくれました。
使わせてもらえる車はランドローバー社のジープで、車体から煙突のようなもの、というか煙突そのものが出ていて、見たことも無い形でしたが、なるほど力強そうで、道がなくたって進んでいけそうな勢いを感じます。よく見ると、車体にはヨーロッパ連合のマークがついていて、どうやら、以前の研究プロジェクトでヨーロッパ連合から寄贈された車のようでした。私たち調査隊がこんな車を購入すれば、調査費用のほとんどがなくなってしまいそうです。改めて、ヨーロッパ連合のプロジェクトと、我々の調査の資金力の差を目の当たりにしました。
我々が入林、出林時に利用が許されたランドローバー社のジープ。車体から煙突のようなものがでていてかっこがいい。車体にはヨーロッパ連合のマークがついていた
私たちが調査をする森は、タンジュンレデップから車を1時間くらい走らせたところにある、ラバナン(Labanan)という所にありました。
森の入り口近くに建つ木造平屋の調査小屋は、久しく使われていないようでしたが、なかなか立派な建物で、15畳くらいの共用スペースと、寝室が4つもあり、それぞれの寝室に、ベッドが二つずつ入っていました。それ以外に、トイレ兼シャワールームが2つありました。共用スペースは、データ入力などのコンピューターワークやデータ整理に使う部屋として使うことになりました。そして、私はカオさんと同じ寝室になりました。
我々が調査時に滞在した小屋
シャワールームにはドラム缶が一つ置いてあります。ドラム缶に水を溜めておいて、その水をシャワーやトイレに使うのです。水は近くの川から引いて来られる仕組みになっているのですが、そのためにはポンプを回す必要があります。しかし、残念ながらポンプが壊れていたので、とりあえず、バケツで川から水を何度も運んできて、ドラム缶に水を満たしました。こうしてドラム缶に溜めた水は、トイレに使うだけにして、水浴びはお外で、つまり、近くの川に行くことにしました。
と言いますのも、川と調査小屋はたかだか200 mくらいしか離れていないのですが、ドラム缶に水を溜めるためには、バケツを持ってこの距離を何往復もする必要があり、これは本当に骨の折れる作業だったからです。こうして溜めたドラム缶の水を水浴びで使えば、一瞬にしてなくなってしまいます。そうすると、また骨の折れる水くみです。「それは嫌だなぁ、なんだったら、川の水にこっちに来てもらうのではなくて、こっちから川に行きますよ」、ということになり、水浴びは川で行うこととし、この部屋はトイレ専用となりました。
蛇足になりますが、調査中のトイレ事情も報告しておきましょう。ここではトイレットペーパーは使わず、手桶と左手を使ってお尻をきれいにします。インドネシアなどの国では、左手は不浄の手という扱いで、食事や握手、スーパーなどのお店でのお金のやり取りに左手を使うのはマナー違反です。こんなマナーは日本にはありませんから、日本人は忘れがちなのですが、左手でトイレの始末をしていれば、自然と左手が不浄の手であることを覚えてしまい、このマナーを間違えることはありません。
とはいえトイレットペーパーを使わないのは、マナー違反を避けるためではありません。私たち日本人の日頃の生活は、環境に大きな負荷をかけていますが、それでも環境が劣化していかないのは、例えばトイレの場合、上水と完全に分離された下水システムが完備、機能しているからです。一方、この森の中には、下水システムなどあるわけもなく、トイレの汚水は、そのまま川に流されて行きます。便は川に流されれば、そのうちに消えてなくなりますが、トイレットペーパーはそうはいきません。こんなものを使えば、上水にも使っている川の水が急速に汚れることは目に見えています。
私たち日本人がお邪魔するだけで大きな環境負荷をラバナンの自然に与えてしまいます。普段から「エコ」を自称している私ですから、こういうところで、「エコ」に対応できなければ本末転倒です。世界人口のほとんどが、手でトイレの後始末をしているわけですから(トイレットペーパーを使って処理をすることは、日本だけを見れば当たり前のことですが、世界的に見れば少数派です)、慣れてしまえば何というわけではありません。私だけでなく、調査隊全員がこの方法でトイレをします。トイレに対するハードルが低いことも、熱帯林調査をする大切な能力の一つです。
話を調査小屋に戻しましょう。これから1か月お世話になる調査小屋を快適にするために、まずは大掃除を行いました。部屋自体は、埃を片付けると、案外、すぐにきれいになりました。しかし、気になるのはベッドにおいてあるマットレスです。埃やらなんやらまみれで、さらに、なんとなく、じめっと湿った感じがして、「あまり、この上で寝たくないな、なんか痒くなりそうだな」という具合に仕上がっています。私の記憶が正しければ、ダイソンの布団クリーナーのCMで、「普段使っているきれいに見える布団でさえ、200万匹以上のダニが住んでいる……」とか言ってたはずです。「きれいに見える布団にダニがいて、まったくきれいに見えないこのマットレスにダニがいないわけないよなぁ」、と、しばし茫然とマットレスを眺めていていました。頭の中では、「一般的に、ベッドには200万匹以上のダニや……」というダイソンCMのやや無機質な女性の声が、エンドレスで流れ続けていました。ふと気が付くと、茫然自失の私の横をカオさんが自分のベッドのマットレスを持って、外に出て行く姿が見えました。
どうやら、マットレスを天日干しするようです。「なるほど、それは気分がよさそうだ」と私も真似をしました。そして、小枝を取ってきて、布団たたきの要領でマットレスの埃を払いました。すると、叩くたびにマットレスは、風の谷のナウシカの腐海の瘴気のような煙を景気よく巻き上げるではありませんか! 私もカオさんも、親の仇とばかりにマットレスが瘴気を吐き出さなくなるまで、必死に叩き続けました。この時ばかりは、「いかん、マットレスにまで腐海の胞子が入り込んでおる! こ、ここまですすんでおったかぁー」みたいな、ナウシカの大ばばごっこをする心の余裕は、どこにもありませんでした。
マットレス叩き
日干ししたマットレスをベッドに戻し、その上に蚊帳を吊って、これから1か月の寝床が完成しました。意外にも体は痒くならず、このマットレスで、快適に眠ることができました。
そういえば、朗報もありました、調査小屋から一番近いおうちの人が、我々の食事を3食用意してくれることになりました。これでほぼ生活が整い、明日、8月1日から調査に没頭できる環境が出来上がりました。
水周りと食事のめどは付きました。山奥の調査小屋までは、さすがに配電されていませんでしたが、調査小屋には発電機があったので、これを回せば電気を起こせます。ただ、一晩中発電機を回すのも無駄ですから、発電機が使えるのは遅くとも夜の9時までにし、そのあとは、懐中電灯の明かりで過ごすことになりました。私は、9時になると早々に寝るようにしていました。
次回予告
ジャングル生活は整った! 次号では、熱帯林での調査の全貌を紹介する。……なかなかマラリアにならないね。なるなる詐欺なのか? あ、新しい登場人物のアミル先生も登場するよ!
この連載は、ブンイチvol.2 に掲載された「山田、マラリアにかかったってよ」の皆様からの反響が大きかったことから始まりました。山田先生への応援メッセージはぜひBuNaのTwitter、FacebookなどからBuNa編集委員までお願いします!
Author Profile
山田 俊弘
広島大学大学院 総合科学研究科 教授.博士(理学)
熱帯林での25年を超える研究歴(植物生態学・森林生態学)があり,毎年数回,インドネシア,マレーシア,ミャンマーなどの熱帯林で調査を行っている.専門は熱帯林の生物多様性とその保全.2015年 日本生態学会大島賞受賞.著書は『絵でわかる進化のしくみ 種の誕生と消滅』(講談社),『温暖化対策で熱帯林は救えるか』(分担執筆:2章ー4担当、文一総合出版),『論文を書くための科学の手順』(文一総合出版),『〈正義〉の生物学』(講談社 ).
ホームページ:http://home.hiroshima-u.ac.jp/yamada07/
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