第10回 私が「コカ・コーラ、アイム ラビンイッ!」と叫んだ理由
前回、マラリアではなくデング出血熱と診断された著者。だが症状は悪化し、ひどい悪夢を見ることになる……。
さらに、愛想のない看護師との「コカ・コーラ事件」が起こる。
どこまでが本当なのか!? 本当にマラリアの病人なのか!? その謎が今、明らかになる。
食べ物を体が受け付けてくれない。リンゴを食べるのがやっとでした
ベッドに横になっていると、主治医と称する人が病室にいらっしゃいました。現れた男は、おじさんなのにおばさんっぽい髪形をしていて、ミスターダイナマイト、ジェームスブラウンに似ていました。JBは今までの女医たちとは違い、英語で話をしてくれます。私にとってはインドネシア語よりは、英語の方が使いやすいので、彼の出現は追い風です。
JBは、
「私が来たからもう安心したまえ。私が治してあげましょう」
などと、大変、頼もしいことをおっしゃいます。「サンキュー、ミスターダイナマイト。メ~ン」と答えようかとも思ったのですが、初対面でそういうことを言うべきではないという教育を大学院を修了する27歳まで、結構長きにわたり受けていたので、ぎりぎりのところで踏みとどまりました。高い学費を払い、長い時間をかけた学習の成果と言えるでしょう。代わりに、さっきから気になっていた私の病名である、デング出血熱がなんであるかをJBに教えを乞いました。JBによると、デング出血熱は、日本でも話題になったことがあるデング熱をかなり盛った感じのアレで、最悪の場合、体中の穴という穴から血が噴き出て、死ぬ病気だということです。JBは、
「血が噴き出し始めたら、直ぐに教えてくれよぉ。ハッ、ハッ、ハッー」
とじぇーんじぇーん笑えないことを、大笑いしながらおっしゃいます。JBによるデング出血熱の説明を聞き、なんとなく、「マラリアの方がよかったかなぁ」と思いました。実際は、そのマラリアの方だったのですけれども。
マラリアとデング出血熱では、治療方針がまったく異なりますから、この誤診は私にとっては重要な意味がありました。マラリアならば、抗マラリア剤により、体内のマラリア原虫を駆除しなければ死に至ります。対してデング出血熱は、対処療法になります。熱が出れば解熱剤、痛みがあれば鎮痛剤が投与され、根本的な治療は行われず、患者の調子を見ながら、そのつど状態に合った治療が施されます。デング出血熱の病状が悪化していないか、6時間ごとに血液成分のモニターリングを行ってくれることにもなりました。デング出血熱でない私にとっては、全く意味のないモニターリングでした。
夜になって隊長が、「帰ってこないから心配して来てみたけど、まさか入院しているとはねぇ」と言いながら病院まで駆けつけてくれました。明日には、着替えなどを持ってきてもらえるようです。ご迷惑をおかけして恐縮です。
私は、入院さえすれば助けてもらえるものだと思っていたのですが、治療方針が頓珍漢な方向を向いているのですから、私の病気がよくなるわけがありません。ただただJBに見守られる日々が続き、日に日にマラリアは私を死の淵へと追い込んでいきました。
発病五日目、入院三日目のことでした。もう、何をしても苦しいのです。仰向けに寝るとお腹が痛いので、たまらず横を向くと肩が痛い。ならばと体を起こすと頭が痛いのです。どうしたって、苦しみから逃れられなくなっているときに見る夢は、最悪です。この時、浅い眠りに入ると必ず見る夢がありました。
私はなぜか、空が渦巻きでできている世界にいます。どこが起点で、どこが終点かわからない、大小さまざまな渦が頭の上で巻いているグレーの世界にいるのです。この世界の中で私は、やはりグレーの砂でできた、すり鉢状の砂の穴の底にいるのです。どちらが上かもわからないグレーの世界に、私一人がいるのです。
砂の穴は私を飲み込まんとばかりに、周りから砂が容赦なく落ちてきます。この砂に飲み込まれたらどうなるかわかりません。砂に埋もれると苦しいのですが、その苦しさは砂に埋もれることによるというよりもむしろ、体の内側から生じているような気もします。もしかすると、完全に飲み込まれた砂の中に、別の世界があるかもしれません。しかし、私は砂に飲み込まれ、別の世界に行くことに恐怖を感じ、それを拒みました。お腹まで砂に埋もれながらも、両手で砂をかき分けて、渦巻く空に向かって必死でもがき続けるのです。砂穴から脱出できそうには思えませんが、よしんば砂穴から逃れられたとしても、空が渦巻く世界に佇むだけかもしれません。そんな状況の中でさえ私は絶望せず、何かにとり付かれたかのように目の前の砂を、ただただかき分け続けるのです。
こんな夢をエンドレスで見るわけです。起きても地獄、寝ても地獄でした。
※このあと、トイレの話がしばらく続きます※
そのうちに、おしっこがしたくなりました。トイレは病室の外にありますが、そこに行くことさえつらいのです。と、その時、同室の斜め迎えのベッドの若人が、看護師に押された車いすに乗り、トイレと思しき所に行くところが見えました。「これだ!」と思い、私はためらうことなくナースコールをビービー押しまくりました。ほどなくして、半ふてくされた表情の看護師がやってきたのですが、登場と同時に、こちらが何か要求する前から半ふてくされているのはいかがなものかと思いましたが、とりあえず主訴である、
「私はトイレに行きたい。あの若人がされたのと同じように、車いすで運ばれることを欲する」
ときちんとした文法のインドネシア語で伝えました。しかし、文法的に正しいインドネシア語を使ったにもかかわらず、この看護師はみるみる全ふてくされとなり、私の要求を拒否するのです。あの若人はありで、このおいぼれには無しということは、これがあの噂に高いエージディスクリミネーションというやつでしょうか? 「もしかしてよく聞こえなかっただけなんじゃ?」とエージディスクリミネーションとは別の可能性を探り、試しにもう一度、「私はトイレに…」と話そうとすると、その半分も聞かないまま、看護師はナースステーションに帰っていくではありませんか。
これは、本当に言葉が通じないだけのせいでしょうか? それとも、言葉が通じ切らないことをいいことに、私は不当な扱いを受けているのでしょうか? もしかすると最悪の場合、看護師たちは、私の重篤さに気が付いておらず、つまり、私は今、こんなにつらいにもかかわらず、病状を軽んじられているのかもしれません。さすれば、これは大変な事態であり、入院時に心を入れ替え、重病ぶることを心に誓ったにもかかわらず、その重病ぶりが十分に相手に伝わっていないことを意味しているのです。ということは、さらなる努力、異次元の対応が必要だということです。
そこで、私はとうとう、その異次元の対応に踏み切ってしまったのです。病院には、廊下、その他に手すりが設けられているのですが、トイレに向かう途中、一歳ぐらいの赤ちゃんの伝い歩きのごとく、わざとらしくもその手すりにつかまり立ちしながら、手すり沿いに進んでいくという、これ以上ない重症アピールをしたのです。さらに、トイレに行くためにはまったく必要ではない、つまり、私の病室とトイレの動線に無いナースステーションの前を一周することも忘れませんでした。手すりにつかまり歩き行く私を見逃した看護師など、いないはずです。「どうだ看護師ども、思い知ったか! ここに、重病者がいることをー!」、と晴れ晴れしい気持ちで、トイレに入りました。
※以下、特にトイレの話が続きます!!※
通常、ワイルドを売りにしている私は、おしっこの時は立ってします。ご婦人方はご存じないかもしれませんが、男子トイレには、しゃがんで行う個室タイプの便器と、立って行うおしっこ専用便器が分かれており、通常、個室タイプはうんこをするときに用いられるのですが、別におしっこをしても問題があるわけではありません。通常の私ならば、立って行う便器でおしっこをするわけですが、体がつらい上、ナースステーション一周の旅まで敢行し、余計な体力を使ってしまった私は、この時ばかりはしゃがんで行う個室タイプの便器でことを済ませました。
私がしゃがむ前までは、きれいな水だったのです。本当なのです。信じてください。それが、おしっこを出し終わり、水を流そうと便器を見た時に、便器の水が真っ黒に変色していたのです。しゃがんでいたがため、おしっこが黒かったことを直接見たわけではありませんが、この状況の最も合理的な説明は、私が真っ黒なおしっこを出したということでしょう。
先に断らせていただきたいのですが、私のおしっこは通常、真っ黒ではありません。皆さんのおしっこを見たことはありませんが、多分、あなたのものと似たり寄ったりなのではないかと予想いたします。もし、あなたのおしっこが普段から真っ黒な場合、それはたぶんあまりよくないことでしょうから、即座に病院に行くことをお勧めいたします。私の場合、真っ黒なおしっこを出したのはこの時が初めてです。私は、「私の中で、大変なことが起こっている。この状況を知らしめ、早急に対策を打っていただかなければ、もっと大変なことになっちゃうかもぉ」、と大きくうろたえ、直ちにこの状況を看護師に報告せねばと思いました。かつ、この黒おしっこ報告により、私の重篤性が裏付けられ、私に対する不当な扱いも改善されることが期待されます。
私は、ただただ、この状況を直ちに報告することだけを考えてしまい、冷静さを欠いていた所がありました。何事も冷静な判断、落ち着いた行動が求められるのです。これは大いに反省すべき点で、証拠としてトイレをそのままにしてナースステーションに向かった私が、トイレ方向に移動する掃除道具を持ったおばちゃんと、トイレの入り口付近ですれ違ったことに、まったく気を留めなかったのです。
先ほどは、手すりにつかまり立ちの牛歩戦術のナースステーション経由でトイレに向かった私ですが、今度はしっかりとした速足で、マッハでナースステーションに直行です。ナースステーションでは、さっきの全ふてくされの看護師が対応してくれました。私は心の中で、「どうじゃ、全ふてくされ看護師。真っ黒なおしっこを放出した重篤患者としての俺がここにおるんじゃ! 今までの愚行を改めさせてやるぜ!」という気持ちで、私のシナリオの中では、私の重篤性に気が付いた全ふてくされ看護師が、私の前に跪き、「こんなに重篤だったなんて知らなかったの。つらい思いをさせてしまいましたわね。私は心を入れ替えて、もう二度とふてくされないようにしますわね。すまなかったね。すまなかったね」と許しを請う展開が描かれていました。そして、私は彼女を抱き寄せ、「分かってくれればいいんだよ。分かってくれればいいんだよ」と勝ち誇ったように言い放つのです。そうです。私は不当な弾圧に勝利したのです。私は黒いおしっこにより、不当な差別から解放されるのです!
ところが、どうも全ふてくされ看護婦には「黒いおしっこが出た」というのが伝わらないのです。私の知る限りのインドネシア語を駆使し、“黒いおしっこ”を表現しようにも、全ふてくされ看護師は「はぁ?」と言うだけで、事の重大さを理解しようとしないばかりか、半笑いまで浮かべているのです。しまいに私は、
「私の体からね、コカ・コーラが出てきたの。コカ・コーラ。わかる? イェス! コーク! イェス!」
と叫ぶところまで追い詰められてしまいました。が、意外にもとっさに繰り出した「イェス! コーク! イェス!」がかなりの矢沢永吉ぶりで、自分にこんな隠れた才能があることが露見され、感動に打ち震え、もう一度「イェス! コーク! イェス!」をやっちゃいたいなぁ、という強い衝動に駆られたのですが、ちら見した彼女は既に全ふてくされフルスロットル状態で、インドネシア人の彼女が永ちゃんを存じ上げていることはたぶん限りなくゼロに近い確率であり、その状況で永ちゃんを繰り出せば、彼女をふてくされメーターが振り切れることが予想されるわけですから、私は二度目の永ちゃんを封印せざるを得なかったのです。しかし、二度目の永ちゃんを慎んだにもかかわらずです。全ふてくされ看護師は、アメリカ映画でよく見るような「お手上げ」のジェスチャーをし、舌を出しているではないでしょうか。こんなことならば、永ちゃんをしておけばよかったと、反省いたしました。
しかし、私には奥の手があるのです。こんな時のために、便器の黒いのを証拠としてとっておいたのです。看護師の手を取ると「コカ・コーラ、アイム ラビンイッ!」と叫びながら、トイレにいざないました。コカ・コーラじゃなくてマクドナルドだったかなぁ、と思いながら。
トイレには、全ふてくされてしまった看護師を更生さるべく証拠が残っているのです。これさえ見せれば、彼女を更生させることができると思いながらトイレに邁進した私は、やはり冷静さを欠いており、トイレから出て来る途中の掃除道具を持ったさっきのおばちゃんと、トイレの入り口付近でもう一度すれ違ったにもかかわらず、愚かにもこのおばちゃんに注意を払うことなど一切しなかったのです。
「ジャーン」と個室の扉を開けると、そこには私のこれからの扱いを正当なものに変えてくれる希望の真っ黒のおしっこの世界が待ち受けているはずで、これを見て看護師はいたく感動し、更生するはずだったのですが、バーンとあいた扉の向こうの世界を見せても、看護師の全ふてくされは微動だにせず、両手を組んだまま立ちすくんでいます。「あれ?びっくりしないの? もしかして、あなた、おしっこ黒い派? いっがーい!」と便器をのぞき込んだとき愕然としました。黒いおしっこを洋洋と湛えたはずの便器は跡形もなく、きれいに掃除されていたのです。
きれいに掃除された便器を前に、「だからね、ここがコカ・コーラだったの。私のコカ・コーラ」としどろもどろになっている私を後目に、「はぁ~」、と大きなため息を一つついて、ふてくされ全開のまま看護師はナースステーションに帰っていきました。
「もうだめだ、私はここで死ぬんだ。黒いおしっこが出たことも誰にも伝わらず、このままここで死ぬんだ」と死の恐怖に打ち震え、ベッドで泣いているまさにその時、インドネシア人の友人がお見舞いに来てくれました。なんで泣いているのか? と聞いてくるので、私はそのまま、
「デング出血熱がひどくて、もしかして、死んじゃうかもしれないし、ここでは自分の意思がほとんど伝わらないんだ」
と窮状を訴えました。
彼が反応したのは“デング出血熱”というくだりで、
「なんだよ、そのデング出血熱って?」
と、聞いてきます。
「だからさぁ、全身の穴という穴から血を噴出して死ぬあれだよ」
と教えてあげると
「そんなの知ってるんだけど、お前、デング出血熱なわけないじゃん。お前のその症状、マラリアじゃん」
と、当たり前に答えてくれます。この友人は医者でもないのに、私がデング出血熱ではなく、マラリアであると診断したのです。そして、彼はすぐさまJBを呼びつけました。
二人でなんやらインドネシア語で会話をしているのですが、早口と、知らない単語がたくさん出てくるので、会話の内容はほとんどわかりませんが、会話が進むにつれてJBの顔色がみるみる変わっていくのがわかります。そのうちに、JBはどっかに飛んで行ってしまいました。
インドネシアの友人に事の顛末を聞きました。友人が、JBにデング出血熱の根拠を尋ねると、「日本人の観光客がマラリアに罹るわけないだろ。マラリアは熱帯林に行かないと罹れないんだから」と答えるものだから、「彼はここに来る前まで1か月、東カリマンタン州のジャングルで過ごしていた」というと、血相を変えて帰っていったということです。私の血液標本は、6時間ごとに取り溜めたものがたくさんあります。それを使って、血液の再検査をするとのことです。
私はこの時はじめて、最初にこの病院に訪れたときに伝えたはずのマラリア情報が何も伝わっていなかったという驚愕の事実を知ったのです。
ほどなくして、「原虫、うじゃうじゃー」と言いつつ、舌を出しながらお茶目に笑うJBが帰ってきました。この時のJBの顔を、私は一生忘れることは無いでしょう。結局、私はマラリアだったのです。この時から初めて、私には原虫駆除の投薬治療が開始されたのでした。
次回予告
マラリアだったんジャーン。しかし、マラリアと病名が付いたからといって、快方に向かうわけではない。マラリアの悪夢はさらに深刻に進んでいく!?
この連載は、ブンイチvol.2 に掲載された「山田、マラリアにかかったってよ」の皆様からの反響が大きかったことから始まりました。山田先生への応援メッセージはぜひBuNaのTwitter、FacebookなどからBuNa編集委員までお願いします!
Author Profile
山田 俊弘
広島大学大学院 総合科学研究科 教授.博士(理学)
熱帯林での25年を超える研究歴(植物生態学・森林生態学)があり,毎年数回,インドネシア,マレーシア,ミャンマーなどの熱帯林で調査を行っている.専門は熱帯林の生物多様性とその保全.2015年 日本生態学会大島賞受賞.著書は『絵でわかる進化のしくみ 種の誕生と消滅』(講談社),『温暖化対策で熱帯林は救えるか』(分担執筆:2章ー4担当、文一総合出版),『論文を書くための科学の手順』(文一総合出版),『〈正義〉の生物学』(講談社 ).
ホームページ:http://home.hiroshima-u.ac.jp/yamada07/
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